2019年5月12日日曜日

感謝状? 2

既に何回か書いたが,2013年6月下旬に父親が出血性脳梗塞の二度目の発作で倒れて入院したとき、私は数日間高知に帰省した。私が東京に戻る日の前日(2013年7月1日)の夕方、姉の家に立ち寄ったとき、別れ際に姉(池友子)と姉の長女がかしこまって私の前に立ち、「幸伸,私たちはお母ちゃんと縁を切る」と私に告げた。私はまたいつもの親子げんかでもたのだろうと軽く考え、返事もせずにホテルに戻った。
 
その前日、つまり2013年6月30日にも私は姉(池友子)の家を訪れていた。姉は数日前にその家(賃貸マンション)に引っ越したばかりであった。私が姉(池友子)の家を訪れたとき、姉の夫(私の義兄)は仕事に出ており、家の中には姉(池友子)しかいなかった。姉は引っ越したばかりの住居のなかを案内してくれた。
 
帰り際に屋外でしばらく姉(池友子)と立ち話をした。その際に、姉(池友子)が、「お金は足りる?」と私に尋ねた。当時、高知県内にはメガバンクは1つしかなかった。みずほ銀行であった。しかし私はみずほ銀行には預金口座を持っていなかった。姉は私を高知市内のショッピングセンターの脇にあるATMに私を案内してくれた。私はいくばくかの金をそのATMで引き出した。父親の衣類やタオルなど、いろいろな入院用品を買ったので、私の財布の中の金が少なくなっているのではないかと姉(池友子)は心配してくれたのだ。財布のなかを確認すると、数千円しか残っていなかった。姉(池友子)はそれを見て、「お金を貸しちゃおか。待っちょり」と言って自宅に戻り3万円を持って出てきた。私は翌7月1日しか高知には滞在しないので多くの金は要らないだろうと思ったが、もし金が必要になった際にまたATMに行かなければいけなくなるのは時間の無駄になると思い、姉(池友子)が差し出した3万円を借りた。
 
このことからもわかるとおり、私と姉(池友子)とは決して仲たがいしていたわけではなかった。事情をよく知らない人は、私と姉(池友子)とは元々仲が悪かったのではないかと思ったかもしれないが、そんなことは全くなかった。
 
翌7月1日にも東京に戻る挨拶をするために私は姉(池友子)の家を訪れた。その際には、姉(池友子)の長女と次女および彼女らの子(姉(池友子)の孫)も姉(池友子)の家に遊びに来ていた。屋外で子供たちを遊ばせていた。短時間姉(池友子)と立ち話をしてホテルに戻ろうとしたその時に、姉(池友子)と姉(池友子)の長女が母親と絶縁すると突然私に告げたのである。姉(池友子)の次女は少し離れたところで子供たちを遊ばせており、私たちの会話には加わらなかった。
 
私は7月13日から15日まで再度、高知に帰省した。その際に、姉(池友子)から借りた3万円を返すつもりであった。しかし、当時はまだ身体の不自由な母親が自宅で一人暮らししていた。母親の介護もしなければならなかった。雑用も山のようにあった。
 
また、姉(池友子)の気性を知っていた私は、しばらく姉(池友子)とは接触を持たずそのままにしておくのがいいだろうと考えた。そのため、姉(池友子)には3万円を返さないまま東京に戻ってきた。そしてその日(2013年7月15日)の晩、東京から姉(池友子)に電話をかけた。
 
この際の電話でのやりとりについては次回書こうと思う。

0 件のコメント: