2019年5月12日日曜日

姉 7 「三万円」 その1

2013年6月30日に私は姉(池友子)から3万円借りた。結果的にはその3万円は使うことなく、そのまま東京に持って帰った。次に帰省した際にその金を姉(池友子)に返したかったが、2013年7月1日に母親と絶縁すると姉(池友子)と姉(池友子)の長女から言われていたのでなんとなく姉(池友子)の家を訪れるのが憂鬱であった。そのため2013年7月13日から15日まで帰省した際には姉(池友子)に連絡をとることも姉(池友子)の家を訪れることもしなかった。姉(池友子)から借りていた3万円もそのまま東京に持ち帰った。
 
その当時はまだ、父親とも縁を切るという話は姉(池友子)から聞かされていなかった。2013年7月13日から15日に帰省して私が最も気がかりであったのは、父親が所有する不動産の始末であった。元々農家であったわが家にはあちこちに田畑や山林があった。しかし私はそれらがどこにあるのか、ほとんどわからなかった。母親は慢性関節リウマチを長年患い、歩くことすらままならない。
 
私は高知から帰った2013年7月15日の晩に姉(池友子)に電話をかけた。そして、父親の不動産が欲しいかどうかを尋ねた。姉(池友子)は不動産は要らない。金だけ欲しいと言った。しかし身体の不自由な母親に不動産を相続させるわけにはいかない。父親の所有している田畑や山林はできるかぎり私が処分するが、父親が亡くなったときにもし不動産が残っていたならば、姉(池友子)と私の二人で折半しようと提案した。しかし姉(池友子)は、「要らないものは要らない」と言って、不動産を相続することを拒否した。私は「そんなことを言うても、身体の不自由な母親に不動産を相続させるわけにはいかんじゃいか」と声を荒立てた。そうしたら、姉(池友子)はがちゃっと一方的に電話を切った。
 
姉(池友子)は何か気に入らないことがあるといつも一方的に電話を切った。この日も、再度電話をかけても無駄であろうと思い,姉(池友子)の長女に電話をかけ、姉(池友子)との電話でのやり取りの概略を述べた。
 
すると、姪はいきなり「おばあちゃんは許さん」と怒り出した。その2週間前の2013年7月1日に姉(池友子)と姉(池友子)の長女から母親との縁切りを告げられていたが理由を知らなかったので、このとき姪になぜおばあちゃん(姪の祖母にあたる私の母親)を許せないのかを尋ねた。姪は「おばあちゃんは私のお母さんによりもおじちゃんに少し多めに遺産を残したい」と言った。だから許せないと怒り出したのだ。

0 件のコメント: