2006年11月28日火曜日

2006年11月27日月曜日

多忙な一日

昨日(26日)は日曜日であったにもかかわらず多忙な一日であった。まず 朝7時に起床。8時30分から息子の水泳競技会の見学に行った。50メートル背泳ぎ。45秒70。惜しくも昇級を逃した。午後にはバタフライの競泳に出場予定であった。(バタフライも昇級できなかった。帰宅後、くやしさのあまり息子が涙を流していたことを息子が寝た後、家内から聞かされた。)

しかし私は正午から職場の後輩の結婚披露宴。11時前に車で家を出た。披露宴会場のホテルニューオータニに到着。控室に入ると、既に多くの来賓が集まっておりにぎやかであった。池田康夫医学部長の顔もある。その奥様である池田美智子先生もいらっしゃっている。お二人は新郎の親族としての披露宴出席であった。

披露宴最中の午後2時過ぎに中座した。上野の東京文化会館で開かれている関孝弘氏のリサイタルを聴くためだ。午後2時開始であるので、第2幕から会場内で聴くことになった。曲はシューマンの謝肉祭。関氏の演奏を聴きながら、私は関氏の人柄、しゃべり方、声などを想像した。アンコールの時、関氏の肉声を聞くことができた。私の想像どおりであった。

関氏の演奏から何を想像したのかはここでは書かない。ただ、音楽家が奏でる音色は作曲家と演奏者との共演なのだろうと強く感じたということだけを記す。

2006年11月25日土曜日

2006年11月24日金曜日

岡留恒健さん

岡留恒健さんの手紙を携えた患者さんがきょうの私の初診にみえた。岡留さんは今ごろどうしているだろうかと2か月ほど前に家内と話したばかりであった。岡留さんからの手紙には岡留さんの現住所が書かれていた。岡留さんは山梨に引っ越していた。

岡留さんは日本航空の元パイロット。結婚するまで家内も日本航空に勤務していた。その関係で岡留さんには家内が大変お世話になった。岡留さんは山登りが好きで、日本ばかりでなく世界のあちこちの山を歩いているということを家内から聞かされていた。私たちがミュンヘンに住んでいた頃、スイスのカンダーシュテークという街が素敵だよと教えてくれたのも岡留さんであった。

私たちは留学中、3度 スイス国内を列車で旅行した。

ある駅で列車が停った。そのとき私は列車の外の景色があまりにも美しいのに魅かれて思わず列車から飛び降りた。その街がカンダーシュテークであった。偶然であった。私が列車から飛び降りたとき、私はその駅の名すら知らなかった。その街が岡留さんお奨めの場所であったことは、ホテルにチェックインした後、初めて家内から知らされた。

今もあのカンダーシュテークの幻想的な山並みが眼前に浮かぶ。美しい山並みに囲まれ、不気味なほどに俗世間から隔絶された街であった。もう一度行ってみたい。

2006年11月22日水曜日

久しぶりのメール

坂田からのメールは私と今井隆子さん宛であった。坂田と今井さんに同じ返事を返した。下は今井さんからの返事。

メールありがとうございます!とても嬉しかったです!すっかりご無沙汰してしまってごめんなさい。「四捨五入すると100歳ね。」に笑ってしまいました。ユーモアのある奥様ですネ。二月にメールを差し上げた際、お母様が慶應病院に行かれるとのことでしたが再び受診されるのですね。早く良くなりますように。あの時、五月に上京したい旨お伝えしていたのに、結局出かけられないまま日が過ぎてしまいました。今年は仕事が忙しくて都合がつけられず残念です。来年こそ、久し振りにお会いできればいいなと思います。

今井さんと初めて会ったのは何年前であっただろうか。5年近く経っただろうか。坂田がまだ東京にいるころ中村さんと私と一緒に聖路加病院のすぐそばで食事をしたことがあった。そのとき中村さんが今井さんを連れてきたのだ。今井さんは中村さんと同じ銀行に勤務していた。ただし中村さんが東京勤務であったのに対して今井さんは札幌支店勤務。ふたりは研修会の場で知りあい仲よくなったということであった。

今井さんとはその後、一度だけ会ったことがある。私の記憶違いでなければ、確か、新宿の京王プラザのレストランであったと思う。

坂田は北海道への出張の折、今井さんとは時々会うようだ。

我らは皆50歳

高校時代の友人から下のようなメールが届いた。

あと二週間、國弘より少し遅れて50です。11/17、上海に着いてタクシー待っていたら親父から私の伯父が亡くなったと電話。札幌では母、上海では伯父、と遠くへ出かけるのが恐ろしい。先月、私の斜め向の席の同じ年の人が大腸ガンで入院、手術は終わったが肺に転移しているとか。女子社員製作の千羽鶴の効果は?昔、死というものは水平線のかなたにも見えなかったが、最近はどうも近くにいるのでは?と思えてきたりします。同年代と一緒だと、話題は親の介護や子供が順調にいかない問題ばかり。面白くない年代。若い頃に戻りたい。坂田

2006年11月20日月曜日

テスト送信

これはテスト送信です。

慶應大学と共立薬科大学が合併



慶應大学と共立薬科大学が合併に向けた話し合いを始めるとの報告がきょうの午後に開かれた教授会でなされた。ウェブサイトにもその記事が掲載されていた。下の記事はexciteニュースからとったもの。

慶大と共立薬科が合併へ 08年度目指し協議入り [ 11月20日 20時44分 ]
共同通信

 慶応大(東京都港区、安西祐一郎塾長)と共立薬科大(同、橋本嘉幸理事長)は20日、08年4月合併を目指し、協議入りすることで合意したと発表した。2007年3月に合併協定書を締結し、慶応大は合併により薬学部と大学院薬学研究科を設置する計画。
 文部科学省によると、4年制大学同士の学校法人の合併は過去に2例あるほか、関西学院大(兵庫県)と聖和大(同)も合併協議を行っている。
 共立薬科大は数年前から合併を検討し、昨年10月に慶応大に非公式に打診。今月16日、正式に合併を申し入れた。今後、両大は合併推進会議を設置、具体的な内容を検討していく。
 記者会見した安西塾長は「合併で研究水準の向上が期待でき、私大が直面している競争でも有利に作用する」と強調。橋本理事長も、経営基盤は安定していることを強調した上で「本年度から薬学部は6年制になり、教養や実習の面で単科大では限界がある。合併で将来的に安定した学習環境を提供できる」と話した。

「めまい」とは

めまいとは何かー。これはめまいを専門にする医師にとって永遠のテーマであろう。私自身は、「めまいとは空間識の破綻およびそれによって生じる不快な症状である」と定義づけている。

治豊誕生




これら3枚の写真のタイムスタンプは1998年5月4日となっている。治豊の誕生した翌日だ。上の写真は保育器の中の治豊をガラス越しに撮影した写真だ。中段の写真は高知から私の両親が上京してきたので、家内の両親も交えて一緒に撮影したものだ。慶應病院の7号棟5階だったか・・・。この晩、両親は家内の実家近くのワシントンホテルに宿泊した。下の写真はワシントンホテルのなかの三十三間堂で会食したときのものだ。このとき、私の父親は本当に嬉しそうだった。話は生まれたばかりの孫の名前に及んだ。家内は、「征豊(まさと)」と「治豊(はると)」のどちらかにしようと決めていた。私の父親は「征豊」の方がいいと言っていた。しかし「征豊」の「征」は「出征」を連想させるのでいやだという家内の気持ちもあって、結局、「治豊」と名付けた。この名前は、妊娠中、家内がたくさんの姓名判断の本を読みながら考えたものだ。

保育園の頃の写真


私の幼児期の写真は少ない。これは貴重な写真だ。私は保育園に2年しか通っていない。だからおそらくこの写真は私が5歳か6歳の頃のものであろう。保育園の発表会の日に撮影した写真だと記憶している。同期は私を含めて4人であった。男2人、女2人。
保育園では、私は「よい子」とみられていたようだ。保母の矢野よしこ(漢字:不明)先生にはずいぶんと可愛がられた。保育園から2キロ以上離れていたよしこ先生の自宅によく遊びに連れていってもらった。その頃のよしこ先生は独身であった。よしこ先生が結婚したのはそれから20年以上経った50歳ごろだったようだ。
今でも忘れられないのは、「楠先生」と私たちが呼んでいたもう一人の先生が涙ぐんでいたことがあることだ。園庭に立ったまま左手で目頭を押さえながらぽろぽろ涙を流していた。理由はわからなかった。ひょっとしたら、よしこ先生にいじめられたのではないだろうかと当時の私はおぼろげに思った記憶がある。

婚約時代の写真



私たち夫婦が婚約して間もない頃の写真が20年ぶりに出てきた。この写真は家内の家族が高知の私の実家を初めて訪れた際のものだ。確か義兄や私の両親もいっしょに開通したばかりの本四架橋を見に行った。高速道路で時速100キロを出すと、私の運転するボロのカローラのハンドルがぶるぶると震えたのを今でも憶えている。このころは私の両親がちょうど今の私の年齢であった。過ぎ去りし時間は短く感じるものだ。

2006年11月17日金曜日

学会終了

第65回日本めまい平衡医学会が終了した。

2006年11月13日月曜日

2006年11月13日 月曜日

AN6:30 起床。少し眠いがきょうは早めに自宅を出ねば・・・。モーニングカンファレンスでの発表がある。

2006年11月12日日曜日

2006年11月12日 自宅で過ごす

きょうは朝から快晴。ちょっと風邪気味なのが残念。
明日(月曜日)の朝のモーニングカンファレンスのスライドを作成せねば・・・
今週木曜日には第65回日本めまい平衡医学会の発表もある。

PM8:55
きょうは一日中家の中で過ごしてしまった。一歩も家を出なかった。少し散歩に出ようか。散歩から帰ったら風呂に入って寝ることにしよう。明日の朝は早い。モーニングカンファレンスでの発表もある。