2017年10月24日火曜日

叔父の墓参り

11月16日から19日まで高知に帰省した。その際に叔父の墓参りをした。この叔父は2012年9月に亡くなった。そのときの衝撃は、叔父の妻の心から今も抜けないという。 この叔父を私はとても尊敬していた。頭が良かったからだけではない。どんな苦労をしていても愚痴ひとつ漏らさず、黙々と苦労に立ち向かっている叔父の生き様が私には美しいと感じられた。 

叔父の墓は、高知龍馬空港に近い小高い山の中腹にある。今年は叔母(叔父の未亡人)とふたりでその墓を訪れた。

叔父の墓碑には「享年77歳」と刻まれていた。おそらく数え年であろうと叔母は言った。

叔母は満年齢で78歳になるという。叔母は、今も、叔父の死が悲しくて仕方がないようだ。叔父と叔母の間には二人の息子がいるが、二人ともまだ独身である。子孫が絶えるかもしれないことも叔母はたいそう気に病んでいる。

私の父親は2014年に亡くなった。その翌年、母親も亡くなった。両親の墓地は東京にある。高知からはすっかり縁遠くなった。高知に帰省した際に叔父の墓前で手を合わせることは、私の帰省時の儀式になった。


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11か月ぶりの帰省

久しぶりに高知に帰省した。両親がなくなってから、高知からはすっかり足が遠のいていた。今回帰省したのは、母校である高知学芸高等学校の1年生に対して進学ガイダンスを行うためであった。卒業生にとり、後輩たちに対して母校で授業ができることほど嬉しいことはない。みずみずしい感受性溢れる生徒たちと話すことも実に楽しい。授業が終わった後の先生方との懇親会もとても有意義であった。母校の現状を憂えている卒業生は少なくない。私も何人かの先生方に対して自分の思いを率直に話させていただいた。どの先生も真剣に私の話に耳を傾けてくださった。

数年前に母校に訪れたときと比較して、校舎は少し古くなっているように感じられた。しかし校庭にも校舎内にも塵は落ちていなかった。綺麗に掃除されていた。

学校の敷地に接して男子寮がある。この寮も建て替えられてからかなり年月が経っているように見えた。寂しいことに、私が寮生活を送っていた時期には寮生が280人余りいたが、今、寮生はわずか30人しかいないという。地方の経済が疲弊し、高知市から遠く離れた地域に住む子どもたちに親元を離れて生活させる経済的余裕がなくなったことが寮生減少の主な原因であるということであった。空き部屋が多くなったため、当時は二人部屋であったが今は個室になっているという。また寮内に寝泊りしている寮母さんもいなくなったとのことであった。私が寮生活を送っていたとき、私はたびたび寮母さんの部屋を訪れ、いろいろな悩みを聞いてもらった。当時、3人いた寮母さんたちは、親元から離れて暮らす寮生たちの母親代わりであった。

 少子高齢化と地方経済の疲弊は、私の母校にも情け容赦なく暗い影を投げかけている。

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