一昨日、外来診療中にショートメールが届いた。絵文字入りであった。以下のような文面であった。
「元気ですか。何年ぶりかな。裕子から聞いてびっくりしています。忙しい時間帯が分からんのでメールにしました。土曜日と日曜日は仕事休みです。啓子」」
「裕子」も「啓子」もよくある名であるある。私の知人にも「裕子」や「啓子」という名の女性がいる。しかし、上のメールの文面と結びつけられるような女性はいなかった。いたずらメールかなとも思った。
2~3分考えてから、恐る恐る「どなたでしょうか」という返事を返した。
すると、すぐに次のようなショートメールがまた届いた。
「わからない? 久礼の旧姓「國弘啓子」。今は「佐々木啓子」。子供の頃、よく遊んだね。」
やっとわかった。「啓子」というのは私の従姉であった。そして「裕子」は「友子」の誤りであった。「友子(ゆうこ)」は私の姉の名である。
子供の頃遊んだ友達の名は漢字で書けないことが珍しくない。私はその従姉をいつも「けいちゃん」と呼んでいた。本名が「けいこ」であるということも知っていた。しかし漢字でどう書くのかは知らなかった。
啓子には姉が一人、弟が一人いた。つまり三人姉弟であった。啓子は私より8歳年上。母親似であった。彼女の父親、つまり私の伯父一家は土佐の一本釣りで有名になった中土佐町久礼に住んでいた。祖父母が存命中、私は祖父母に連れられてよく伯父の家に泊まりに行った。伯父一家も墓参りの折りなどによく私の家にやってきた。伯父の家と私の家とは離れていた。だから彼女たちと私たち姉弟とが遊んだのは、このようにお互いの両親や祖父母に連れられてそれぞれの家を訪ねたときであった。
私が啓子に最後に会ったのは、私が小学校低学年の頃であったと思う。ほどなく、啓子は家を離れ、関西に行ったと聞いた。そして向うで結婚し、兵庫県に住んでいるということも聞かされていた。しかし、彼女が関西に行ってからは、本人と全く話す機会はなかった。年賀状のやりとりもなかった。ただ、私の両親から、彼女がいろいろと苦労しながら生活しているということは聞かされていた。
外来診療が終わった後、私は彼女に電話をかけた。40数年ぶりとは思えない、昔のままの声が聞こえてきた。
彼女の夫は7年前に亡くなり、今は末娘と二人で暮らしているということであった。孫も4人いるという。
彼女が長年、里帰りしなかった理由も初めて聞いた。私の両親は、昔から、親族間の軋轢についてはほとんど私に話したことがない。なぜ末っ子である私の父親が本家を嗣ぐことになったのか、私はずっと不思議に思っていたが、そのいきさつも聞かされたことがない。
彼女は私の両親が入院していることを私の姉から聞いていた。姉からいろいろのな愚痴や苦労話も聞かされたらしい。
彼女の父つまり私の伯父が亡くなってから、はや10年経つこと、彼女の弟が死んでからでも7年経つことも彼女から
聞かされた。弟が死んでから彼女は、1年に何回か里帰りし、一人暮らししている母を介護しているという。
私の伯父と私の父親との間に繰り広げられた兄弟間のさまざまな確執。一家を長年苦しめた啓子の弟(私の従兄)の放蕩生活。伯父も死に、死の間際まで家族を悩ませ続けた従兄もすでにこの世にはない。
電話を切った後、彼女は現住所をショートメールで知らせてきた。人生のほんの始まりの時期に遠く離れてしまった従姉との交流が、二人が老年期にさしかかろうとする今、また始まる。