2007年2月3日土曜日

「女性は子を産む機械」発言をめぐって

ある大臣が「女性は子を産む機械だ」と発言したというニュースがマスコミを賑わしている。国会では野党が鬼の首を取ったかのようにこの大臣を追求し、審議拒否にまで入った。

確かに大臣のこの発言は心配りが足りなかったとしかいいようがない。

しかしこの発言は少なくとも心ある国民には意義あるものであった。

女性が機械でないのは明白である。こんなわかりきったことに目くじらを立てる必要はない。また、女性にしか子を産めないのも事実である。

今、声を大にして大臣批判を繰り返しているのは、子を産んだことのない独身女性ばかりである。私は大声で大臣批判を繰り返す女性には哀れを感じる。

何事であっても人によって価値観はさまざまである。皆が同じ考え方をする必要はない。しかし子を産み育てることが女性ばかりでなく男性にとっても人生の中で最も楽しく価値あることのひとつであるということには違いなかろう。戦後教育はこの最も根源的で重要な価値観を古い考え・国粋主義的な考え・男尊女卑として軽視し否定し続けてきた。しかし戦前教育が価値観の強制であっったならば戦後の教育も同様に価値観の強制である。子を持つことに誇りを持てなくなった若い女性はブランド物で身を飾り我が物顔で道を闊歩する。この国は衰退へとつきすすんでいる。

人口減少ばかりではない。日本国民のモラルの崩壊も著しい。

自分の子を抱き重い荷物を抱えながら歩いている女性。髪は振り乱している。化粧もしていない。しかしその女性がかもしだす母性の温かさは究極の女性美である。母性こそが女性の美の源泉である。

女性は、自分が女性として生まれたことに誇りを持たなくてはいけない。女性であることに劣等感を感じ男に対する対抗心をむき出しにする女性に与する必要はない。彼女らは気の毒な人たちなのだから。