2010年2月12日金曜日

修学旅行



昨日、祐人から4枚の白黒写真がメールで送られてきた。うち2枚は修学旅行ででかけてきた東京(一枚は日比谷公園で、もう一枚は靖国神社で撮影)で撮影したものであった。その2枚には写真を送ってきた友人も写っている。

私が高校生だった頃、私の高校では修学旅行先が3つあった。九州、信州、そして関東であった。旅行先は各人が自由に決められた。私は関東を選択した。修学旅行は高校1年が終わった春休みに行くことになっていた。

自分自身がこんなにも長く東京を中心とする関東に住むことになるとは、当時、夢にも思わなかった。その後、私がこの修学旅行のことを思い出すたびに悔やんだのは関東を修学旅行先に選んだことであった。

旅行のルートは正確に憶えていない。ただ、小田原辺りから北に向かって上ったことは確かである。軽井沢で一泊した後、私たちは最後の訪問地として東京を訪れた。片田舎から出てきた私は、東京の喧噪と排気ガスのすごさには驚かされた。私たちはお茶の水の学生会館に宿泊した。この建物はもうない。今の順天堂医院が建っているあたりにあったように記憶している。丸一日の自由行動が許された日に撮影したのが上述した2枚の写真であった。

自由行動は許されたものの、東京の中をどうやって移動すればいいのか、私たちにはわからなかった。地下鉄の乗り方すら知らなかった。私たちは最も安全な移動方法を選択した。歩くことにしたのだ。私たちは、いろいろなところに立ち寄りながら、お茶の水から日比谷公園まで歩いた。帰りも歩きであった。

途中、洗面所を使うために一度地下鉄の乗り口まで降りていったことがある。違う出口から出たところ、その出口が入り口とは道路を隔てて反対側にあることに私たちは気づかなかった。そのため、また元の方向に向かって歩いていた。そのことに気づいたのは、数分以上、経ってからのことであった。

ナイフとフォークを初めて握ったのもこの修学旅行が初めてであった。そのときまで私は箸以外のものを使ったことがなかった。どうやってご飯(ライス)をすくって食べればいいのか、肉はどのようにして切るのかといったことも全くわからず、私は途方に暮れた。いっしょに食事をしたほとんどの者が緊張でこちんこちんになっていた。私のそばに座っていた一人がナイフとフォークの持ち方扱い方を教えてくれた。

修学旅行から帰った後、世界史を教えてくれていた恩師から、食事は楽しんで食べるものであると何度か指導された。しかし、私たちにそのような心の余裕があろうはずはなかった。

この修学旅行からすでに35年が経過した。東京に住んだ期間も、生まれ故郷である高知に住んだ期間よりも長くなった。しかし私は今も変わらず田舎者のままである。友人たちも変わらない。