2018年6月17日日曜日

父親 1

私の姉は、口を開けば父親を口汚く罵った。父親の晩年には、「早く死ね!」といった言葉を度々口に出した。私は姉を窘めなかった。無駄だと思ったからである。姉は父親だけを罵っていたわけではなかった。義理の両親、義理の兄夫婦、夫、そして自分の子たちをも、事ある度に言葉の限りを尽くして罵倒した。人の悪口を言うのは姉の生涯のミッションのようなものであった。当然、私も私の家内も私の義理の母親も姉の標的となった。私の母親も然り。姉の小学校、中学校、高校のクラスメートも、姉は誰一人褒めなかった。

ただ、一度だけ姉が人を褒めるのを聞いたことがある。姉は、自分の三女だけは、「心が優しい」と言って褒めた。三女は姉にたびたびメッセージを送ってくれたり電話をかけてきては「お母さん、元気?」と尋ねてくれるからだという。

娘から労りのメッセージや電話をもらうと嬉しいという姉の言葉は母親としての率直な気持ちを表したものであろう。ところが、娘から連絡をもらうことが嬉しいと話す姉は、その一方で、自分の両親(私の両親でもある)からの電話は長年にわたって着信拒否設定していた。そしてそれは当然のことであると考えていた。姉は、何事によらず自分がすることはどんなに酷いことであっても自分に非はなく相手が悪いと常に考えた。その着信拒否設定についても自分の正当性を私に主張した。

晩年の両親がどれほど寂しい思いをしていたか、姉はわからなかったのであろうか。わかっていたはずだと私は思う。わかっていたからこそ着信拒否したのだ。姉は晩年の両親を虐めることを生きがいとしているように私は感じていた。そう思わずにはいられなかった。私は、姉から、父親を懲らしめるために私も父親からの電話を着信拒否するようにと何度か要求されたからだ。(母親からの電話を着信拒否するようにとは要求されなかった。)

姉は自分に甘く他人に殊の外厳しい。これは姉の最大の欠点である。生涯、治りはしないであろう。

0 件のコメント: