2018年6月5日火曜日

遺産相続 1

父親が亡くなって4年余りが経過した。しかし、まだ私の姉との遺産分割を巡ってこじれている。父親が倒れて入院した直後に私の両親や私の家族と一方的に縁を切り、父親が死ぬまで一切の連絡を絶った姉が、父親が死ぬと同時に代理人を立てて父親の遺産を請求してきた。一度は裁判所の調停案を姉が受け入れた。ところが私と姉の意思の最終確認をするために家庭裁判所が設けてくれた調停委員との面談の場でなんと姉はその調停案を拒否した。つまり土壇場で姉は関係者全ての努力をゴミ箱へ葬り去ったのだ。全てが振り出しに戻った。2度目の調停案のとりまとめには数ヶ月以上を要した。その調停案も姉は拒否した。そのため父親の遺産相続は家庭裁判所での審判に委ねられることになった。今年3月末にやっと家庭裁判所の審判が降りた。この審判は過去の2回の調停案とほぼ同じであったが、今回、姉は異議を申し立てず、異議申し立て期限が過ぎて自動的に家庭裁判所の審判が確定した。

調停委員と裁判官とを挟んで私の代理人(弁護士)と姉の代理人(弁護士)が話し合いを4年間にわたって続けてきたわけであるが、驚かされることが何度もあった。

一番驚かされたのは、父親の葬儀の晩から私が3泊した高知市内のホテルの宿泊代は経費として認めないと姉が主張したことである。私が宿泊したのは、1泊1万円程度のビジネスホテルであった。しかもその3〜4日の間に支払ったわずか数百円の駐車料金も経費として認めないと姉が言っていると私の代理人が私に伝えてきた。

私は心の中で泣いた。

葬儀が終わればその日に全てが終わるというものではないであろう。國弘家の嫡男である私は父親の人生を締めくくるために多くの雑務を済まさなくてはならない。父親の葬儀の後、私は何日間か高知に留まり、葬儀に参列してくださった方々の家にお礼に伺うとともに、市役所で年金などの手続きをすませた。またいくつかの金融機関を回って父親の口座を凍結する手続きを行なった。父親の生前、後見監督人を務めてくれた友人の司法書士に書類一式を渡すことも必要であった。父親の銀行の預金通帳や父親の実印などを抱えたまま、鍵のかからない実家にどうして一人で泊まることができようか。

父親の葬儀の後、まだ私が高知に滞在していたとき、父親が加入していた生命保険会社の担当者にも会った。父親が契約者となっていた生命保険が4つあったが、そのうちの一つの保険の被保険者が姉の長男(私の甥)になっていた。「その保険の掛金は甥御さんに差し上げたらどう?」とその担当者は言った。私は彼女の勧めに従って甥に掛金を譲ろうと思い、メッセージを送った。私はまず、甥に父親(彼の祖父)の死を伝えた。彼からは「残念です」というだけの短いメッセージが戻ってきた。私は続けて、甥が被保険者となっている保険があること、その掛金を甥に譲ろうと思っていることを伝えた。そして書類を送るので必要事項を記載して返送してくれるようにと依頼した。しかし私の送ったそのメッセージには返事が返ってこなかった。

私のこのメッセージに対して甥が返事を寄こさないだろうとは思っていた。予想通りであった。甥が返事を寄こさない事情を知っていた私は、甥が不憫に思えて仕方がなかった。

話を元に戻す。

姉は一枚一枚の駐車場の領収書について、 なぜそれらの駐車場に車を停める必要があったのかについても説明を求めてきた。

私が仕事を犠牲にして東京と高知とを往復しながら両親の介護をし、父親が亡くなったあとは葬儀を済ませ、死後の整理をしている間、姉は私からの一切の連絡を拒否し、葬儀にも参列しなかった。この姉がこんなことまで私に説明を要求してくるなど、こんなにも馬鹿げたことがあろうか。

姉は狂っている。感情のある人間ではない。私は姉を呪った。遺産分割協議の途中でこのときほど激しく腹が立ったことはなかった。


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