2018年6月15日金曜日

遺産相続 7

父親は2011年6月に出血性脳梗塞の初回発作のため数ヶ月間入院した。その際、私は友人の司法書士の勧めで父親と任意後見人契約を結んだ。もし父親の意識がなくなったり父親の判断力がなくなった場合には私が後見人を務めるという契約であった。脳梗塞のためか父親は当時、理解力に乏しく、その契約を結ぶことを嫌がったが、最終的には同意してくれた。

私の姉は、この契約がどのようなものであるのかを全く理解していないようだ。私が父親の財産をどうとでも処理できるようになると思っているようだ。父親がその2年後に二度目の発作で倒れた後、私はその契約にしたがって父親の任意後見人になったが、任意後見人となった私の裁量範囲はきわめて狭いものであった。まず、父親のすべての財産目録を作成して家庭裁判所に提出しなければならなかった。そして全ての入出金を、領収書や請求書を添付して報告しなければならなかった。改葬や不動産の処理に関しては、家庭裁判所の許可が必要であったが、それらの許可をもらうにあたっては、多大な事務処理を必要とした。幸い、後見監督人を務めてくれた私の古くからの友人が改葬許可や不動産処理の許可を家庭裁判所からもらうために骨を折ってくれた。友人のこの協力については以前にも少し述べた。

任意後見人契約を結ぶということは多大な負担を負うことである。任意後見人を務めたことがある者であれば誰でもわかる。単に病院に届け物をするといったことや両親と面会するといった簡単なことではない。私が父親の任意後見人として家庭裁判所から認められたとき、私がまず考えたことは、嫡男として、父親に名誉ある死に方をさせるにはどうすればいいのだろうかということであった。私が実家の掃除や草むしりを怠らなかったのも、嫡男として、父親の名誉を守るためであった。家庭裁判所から許可される必要があったので少額にはなったが、両親の介護を手助けしてくれる人たちにお礼として金を渡したのもそれが理由であった。そして東京から帰省する際には両手にいっぱい手土産買いご近所や親戚に配ったのも、父親に恥ずかしい思いをさせたくないという思いからであった。

しかし、家族に看取られながら死ぬのがやはり父親にとっては最も名誉ある死であろうと考えた私は、なんとしても父親の最期は実娘である私の姉やその子たちに看取ってもらいたいと願った。私が実家で見つけた姉の小学校時代の通知簿や姉の結婚式の写真を姉の夫に届けたのもそういった気持ちがあったからであった。しかし姉は、結局、父親を見舞うことはなかった。父親の最期にも立ち会わなかった。葬式にも参列しなかった。姉は父親の人生を、そして死を汚した。

姉は今、このことについて、心の中で如何なる言い訳をしているのであろうか。

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