2018年6月15日金曜日

遺産相続 6

姉と姉の長女が、私の一家との絶縁を決断した理由は、私の母親が姉よりも私に多目に遺産を残したいと行ったことが理由であったことは既に書いた。このことを聞かされたのは2013年7月15日の晩であった。姉の長女からであった。この晩、姉の長女とはもうひとつのことで言い争った。

父親が倒れる半年前の2013年1月のこと。帰宅すると現金書留封筒が2通、リビングのテーブルの上に置かれていた。1通は私宛、もう1通は私の家内宛であった。差出人は私の父親であった。どういう趣旨の金であるのかわからなかったが、私の家内はその晩直ちに父親に電話をかけ、礼を述べた。そしてその金は大切に預かり、いつでも返却すると父親に告げた。

父親は私に現金書留を送ったのとほぼ同時期に姉の家を訪れていた。このことは、その直後に姉から直接電話で聞いた。父親が姉の家を訪れたとき、父親が家の外から大声で姉の名前を繰り返し呼んだという。父親と顔を合わせたくなかった姉は頑として玄関を開けなかった。しかしあまりにも長時間にわたって父親が姉の名を連呼するため、ご近所に恥ずかしく思い、止むを得ず玄関の鍵を開けたと姉は言った。ただし、姉は、そのとき父親が玄関で姉に現金を渡したことは私に話さなかった。

父親が姉に現金を渡したことは、その6ヶ月後に父親が入院した後、実家で母親から聞かされた。母親から聞いたところによると、姉は親戚やご近所の人たちに対して「要らない金を押しつけられた。この金は返す」と繰り返し話していたそうである。その一方で、父親にも母親にも一言も礼を言わなかった。そればかりか、両親がかけた電話にも出ず、金も両親に返してはこなかった。父親が倒れる直前、「親と口もきかぬ者には、もう銭はやらない」と言って憤慨していたという。父親が怒ったのは当然である。

姉はすべてにおいてこうであった。姉は、自分の嫁ぎ先が経営する会社が倒産した後、私の両親から多額の援助を受けてきた。それらの援助の大半を姉は自分の夫や子たちに伏せていた。私の両親はそのことを知っていたが、姉が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをしてはいけないと考え、姉の家族には何も告げないでいた。それをいいことに、姉は家族や実家のご近所の人たちに対して、「両親は1円の金もくれない」と言いふらしていた。私もことことを耳にタコができるほど姉から聞かされていた。

話を戻す。2013年7月15日の晩、私と私の家内が父親から送ってもらった現金書留のことが姉の長女との間で問題になった。彼女は、私の家内には金をやる必要はないと頑強に主張した。私は、私と私の家内が受け取った合計金額は彼女の母親つまり私の姉が一人で受け取った金と同額であることを理由に、彼女の主張には合理性がないと言った。しかし姪は理由も告げず、私の家内には金をやる必要がないという言葉を繰り返した。私は腹が立ち、私の家内は我が家の長男の嫁であること、私の家内が受け取った金は私の姉のものでもなくましてや姉の長女のものでもなく父親の金であることを告げ、私の父親の孫である姉の長女が口出しすることではないと言った。それでも姉の長女は納得しなかった。姉の長女が尋常でない憎しみを私の家内に対して抱いていることを私は知った。おそらく彼女が私の家内に対して抱いている憎しみは、私の姉の影響であろうと思った。

私は、私の母親の実家から経済的援助を受けることなど想像したことすらない。母親の実家の遺産を母親が相続し、それを私がもらうといったことも考えたことすらない。姉の長女は、自分の母親の実家からの経済的援助を当然のことだと考えてきたようだ。その後の彼女の言動からは、自分の母親が相続する実家からの遺産を彼女が相続することまで想像していたのではないかと思わざるを得ない。情けない姪である。卑しい。

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