2020年4月18日土曜日

帽子

「わが家は貧しい」ということを私は幼児期に父親から繰り返し聞かされていた。事実、貧しかった。実家の家は強い台風が来ればすぐにでも倒壊しそうな古いわらぶき屋根であった。台風が高知県に上陸すると、家はゆっさゆっさと揺れた。そのとき祖母は「ほう、ほう」と大きな声をあげた。実家の柱には虫に食われて無数の穴が空いていた。どれひとつとして四角い柱はなかった。どれも角が丸くなっていた。隙間だらけの家には蛇が入ってきた。ムカデに噛まれたこともあった
 
しかし、まだ幼かった私は、そんな家に住むことを苦痛には感じていなかった。どんなにあばら屋であっても、それは私が生まれて育った家であった。
 
私は「わが家は貧しい」と大学を卒業するまで思い込んでいた。「貧乏人の息子」であるという思いに私の行動は長年にわたって縛られていた。
 
私の幼児期、夏になると毎年、野球帽を買いに自宅近くの雑貨屋に母親とでかけた。その時期には頭部も大きくなっていくため、前の年の帽子はかぶれなかった。店で帽子を選んでいるとき、私は母親に向って「うちは貧乏だから、安い帽子でいい」と言ったという。数十年後に母親からこのことを聞かされた。当然、私には記憶がなかった。私にこの話をしたとき母親はじっと私の顔を見ながら微笑んでいた。この頃には、既にわが家は貧乏のどん底から抜け出していたのかもしれない。母親が私に見せた笑みは生活の余裕に裏付けされたものだったのであろう。まだ幼い私が我が家が貧しいことを自覚していることを母親は不憫に思い、忘れられない記憶として残っていたのにちがいない。

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