2020年4月11日土曜日

のりたま

最近、自宅の食卓には、常にふりかけの「のりたま」が置かれている。この「のりたま」の袋を見るたびに子供の頃の思い出が蘇ってくる。
 
実家の隣りには1歳年下の幼友達が住んでいた。私はその幼友達と毎日のように遊んだ。当然、彼の家も度々訪れた。私の目を引いたのは彼の家の食卓に置かれていた丸美屋の「のりたま」であった。現在と同じ袋に入っていた。中身は当時も少なかった。高価なふりかけであった。私は大人になるまで一度も「のりたま」を口にしたことがなかった。
 
我が家でも当然ふりかけを食べた。しかし我が家で食べるふりかけは非常に大きな袋に入っており、しかも袋が破けそうになるほどぎっしりと詰められていた。鰹節をすり潰したようなふりかけであった。少し生臭かった。中身がスカスカで薄っぺらい「のりたま」の袋とは対照的であった。それでも「のりたま」よりはるかに安価であり、数十円で買えた。そのふりかけの名前は覚えていない。当時、名前を確認したことすらなかった。「ノーブランド」のふりかけであった。
 
私にとって、ふりかけの違いはその幼友達の家と我が家の財力の差の象徴であった。「我が家は貧しい」ということを何かにつけて感じさせられる幼児期を私は送った。我が家が貧しいことを幼かった私も自覚しており、常に引け目を感じていた。貧困生活から抜け出すために無我夢中で働いていた当時の私の両親の思いを理解できたのは、数十年後であった。

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