2018年8月14日火曜日

8月12日

一昨日(8月12日)、御巣鷹山に家内とふたりで慰霊登山した。御巣鷹山に慰霊登山するのは今年で5回目。5年連続となった。今年は午前中に軽井沢を発ったため、事故現場でご遺族や報道陣を多数見かけた。事故から33年発ったが、今もご遺族の哀しみは消えていないように見えた。事故当時、私の家内は日本航空に勤めていた。家内の友人も何人かこの事故で亡くなった。

母親が自宅で倒れ腰椎骨折を起こして緊急入院したのも8月12日であった。2013年8月12日。あれから5年が経った。その日、私は家族と軽井沢に出かけてきていた。実家の近くに住む女性から母親の緊急を知らせる電話を受けたのはその晩であった。彼女は早口で次のように私に告げた。「みっちゃん(私の母親の呼称)が倒れた。救急車で病院に運ぶ。私たちも救急車の後ろに付いて病院に行く。友子ちゃん(私の姉)に電話をかけて病院に駆けつけてくれるようにと頼んだけんど(頼んだが)、『國弘家とは縁を切った。家族会議を開き、池家の全員が國弘家とは縁を切ることに決めた。病院には行かん。葬式にも行かん』と友子ちゃんは言いゆう(言っている)。

彼女は、「実の親なのだから病院に駆けつけないといけない」と繰り返し私の姉を説得してくれたという。しかし姉は頑として拒否した。私の姉に何を言っても無駄だと思った彼女は一方的に電話を切り、私の母親の着替えを手伝い、救急車が実家に着くのを待ったという。失禁してびしょびしょになっていた母親の衣類を取り替えてくれたのは彼女と彼女の妹であった。彼女が救急車の後を追って病院に向かっている途中で何度か私の姉から電話がかかってきたが、運転中であったこともあり、彼女は私の姉からの電話を受けなかったという。

彼女から連絡を受けたとき、私はハンマーで頭を殴られるような衝撃を受けた。私ばかりではなかった。側にいた私の息子も動揺し始めた。

8月12日といえばお盆の真っ最中。身動きがとれなかった。私が高知に帰省したのはその週の週末であった。結局、母親はそれから2年の闘病生活を経て一度も退院することなく亡くなった。

日航機事故と母親の入院。8月12日は私の家族にとって生涯忘れることのできない日となった。

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