2018年8月14日火曜日

2013年7月1日

この日のことも私は生涯忘れないと思う。姉と姉の長女(私の姪)が、私に対して、私の母親との絶縁を宣言した日である。

二人が母親との絶縁を決めた理由を私が知ったのはその2週間後の2013年7月15日の晩であった。私の母親が、私の姉よりも私に多めに遺産を残したいと言ったことが許せないと姪は私に告げた。

私は両親の遺産相続について両親と話したことは一度もなかった。親の財産は親が築いたものであり私のものではないのであるから、両親は自分の財産は好きなようにつかってもらいたいと私は考えていた。しかし姉は両親の財産を1日も早く手にしたいということを度々私に告げた。私はその度に姉を窘めた。両親の晩年、姉の関心は両親の財産にしかないように私には思えた。姪は、実家のご近所の人たちに対して、私の両親の財産がどれほどあるかを吹聴していたらしい。実家のご近所の方からそのことを私は直接聞かされた。私の両親は、東京に住む者にとっては大した財産を残したわけではない。しかし姪の話を聞かされた実家のご近所の方はその日の暮らしにも困窮していた。姪の分別のなさに私は呆れた。

話を戻す。私の姉よりも私に多くの財産を残したいと私の母親が考えていたことは7月15日に姪から聞かされるまで知らなかった。しかし、その話を姪から聞かされたとき、私は母親の気持ちがよくわかった。姉と姉の家族に対して、私の母親がどれほど多額の援助をしてきていたかを私は知っていたからである。姉の嫁ぎ先が経営していた会社が倒産した後、私の父親も姉の家族に対して多額の援助をしていた。母親はそれとは別に、父親に内緒で援助を続けた。母親が姉に渡した現金は1千万円どころではない。しかし、姉は、母親からの援助をひた隠しにした。自分の夫は当然、自分の4人の子たちにも告げなかった。それどころか、「両親は一円たりと援助してくれない」と家族や親戚に言い続けた。

姉の4人の子たちは全員大学を卒業して社会人になっていた。実家である私の家からの援助なくしては誰一人として大学には進めなかった。姉の長女は私の母親が倒れたとき36歳になっていた。結婚し子もいた。それに対して私の一人息子はまだ中学生であり、両親から私の息子は金銭的な援助は受けたことがなかった。ほどなく死んでいく私の母親が、嫡男である私と私の一人息子のために姉よりも多めに遺産を譲りたいと考えるのは当然のことであった。私には國弘家の墓守も頼まなくてはいけない、実家の建物や田畑の処分も頼まなければならない。(ただし、私自身は、当時はまだ、姉と私とは等しく遺産相続すればいいと考えていた。)

私は母親と遺産相続について話したことはないということを姪に告げた上で、なぜ母親がそのように思ったのかについて私の考えを述べた。すると、姪は「外孫と内孫を区別するのは許さん!」と怒り出した。

驚いた。どれほど多くの援助を姉の4人の子たちは受けてきたのかを忘れたのであろうか。姪は、私が何を言っても「外孫と内孫を区別することは許さん!」という言葉を繰り返すだけであった。

堪忍袋の緒が切れた私が次のように言った。「ならば、私の一人息子が両親から百万円もらったら、お前たち4人の孫たちには四百万円渡せということかえ!?」この問いに、姪は黙った。

それにしても、両親の遺産の法定相続人でもない姪がこの段階でここまでしゃしゃり出るとは・・・。非常識な親子である。

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