2015年4月7日火曜日

帰省

4月4日から6日まで帰省した。高知の病院に入院している母親を見舞うためである。私は1か月に1回〜3回帰省する。一昨年の6月に父親が倒れて以来、ずっと私はこの生活を続けている。帰省にはお金がかかるばだけでなく私の仕事も疎かになる。しかし昨年3月に父親は亡くなり今は母親しか生きていないが、母親が生きている限り私はこの生活を続けるつもりだ。

帰省すれば毎日病院に足を運ぶ。母親は寝たっきりであるし言葉も自由にしゃべれない。しかし意識ははっきりしており、ぼけてもいない。だから一層、私は母親を不憫に思う。

東京に行かないかと私は何度も母親に尋ねたが、母親は東京に行くことには頑として応じない。母親がまだ若かった頃から、私と二人きりになると、父親も母親も高知で生涯を終えるつもりであると母親は私に告げた。父親か母親のどちらか一方が亡くなっても自分たちは東京には出て行かないと母親ははっきりと私に言った。

今も親戚が時々、母親に向かって「東京へ行ったらどうでえ」と東京に行くことを進めてくれるらしいが、「行く」という返事は返ってこないという。

もし母親が先に亡くなって父親が残ったらどうであっただろう。おそらく、身体が動く限り東京半分・高知半分の生活を送ったことであろう。身体が動かなくなったら東京と高知のどちらを選んだであろうか。確率は半々だと私は思っている。

母親を見舞っても私がしてあげられることは多くない。母親が食べたいというものをスーパーで買っていってあげ、少しずつ口に運んであげる程度のことである。

ただ、それだけで十分であろうと思っている。大切なことは私が側にいることである。それだけで母親の孤独感は和らげられる。母親の苦しみのほとんどは孤独感から来ていると思う。

母親が亡くなったならば私と高知との縁は切れる。母親や私のために尽くしてくれた人に対しては相応の御礼をして高知を去るつもりである。お世話になった人たちだけを招待して高知から完全に引き上げる前に宴席も持とうと思っている。反対に、私や私の家族に対してあらん限りの憎しみを向けてきた人たちには一言も告げず姿を隠すことになろう。


0 件のコメント: