2006年12月17日日曜日

おもちゃ

私には一人息子がいる。8歳。小学校2年生である。一人っ子であるから大切に育てられ、おもちゃもたくさん買ってもらっているだろうと思っている人もいるかもしらない。確かに大切に育ててはいる。しかしおもちゃといえるようなものはわが家にはほとんどない。

ごく稀ではあるが、近所のRinger Hatに家族で食事にでかけることがある。そこでは子供に小さな景品をくれる。息子はその景品をもらうのが楽しみのようだ。

息子が4歳になるまでは、私たちも世間の親たちと同様に、息子に対していろいろな玩具を買い与えていた。しかし日ごとに増えゆく玩具に囲まれた息子はどんどん落ち着きをなくしていった。食事中も一口食事を口に入れると食卓を離れて玩具で遊ぶようになった。家内がいくら注意しても改まらない。私は雷を落とした。

息子のまえで息子の全てのおもちゃを段ボールに詰めて地下の倉庫に持っていった。息子は泣きながら抵抗した。私は息子に対してタオルを投げつけ、「うるさい」とどなりつけた。息子は一言「わかった」と答えた。そして私のなすがままに任せた。

息子には何のおもちゃもなくなった。私はしばらくしたら倉庫からおもちゃを出してくるつもりでいた。しかし息子は、その後、おもちゃのことは一切口にしなかった。私が自宅にいないときを見計らってこっそり倉庫からおもちゃを持ち出してくることもなかった。それらの玩具はいまも倉庫に積まれたままである。

息子のおもちゃは新聞の折り込み広告と不要になった段ボール箱にかわった。息子は折り込み広告の裏に絵を描いたり、折り込み広告で折り紙をするようになった。また段ボールを切り刻んではセロテープでくっつけていろいろのものを作った。息子は動物をつくるのが得意であった。どれもそれぞれの動物の特徴がよく捉えられていた。一目で何なのかがわかった。私は息子の隠された才能に舌を巻いた。牛乳の紙パックも息子の大切なおもちゃであった。

玩具をとりあげたのはむごい仕打ちであっただろうか。当時は内心いろいろと迷った。しかし結果的にはあれでよかったと思う。子供というのは何でもかんでもおもちゃにする。その旺盛な好奇心には驚嘆させられる。親から与えられた玩具の山のなかではきっと息子の好奇心がかき立てられることはなかったにちがいない。


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