2006年12月6日水曜日

市川浩司のこと

昨日、市川から下のようなメールをもらった。

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國弘様
予定が決まりましたのでお知らせします。
12月29日羽田発高知行き。1月4日土佐久礼発岡山経由東京着。
両親はなんとか元気です。まだボケてはいません。
12月15、20日以外なら空いております。農水省の地下に安い居酒屋がありますので、よろしければご案内します。
月、水、金なら新橋烏森口に新橋ならではの美人ママのいる居酒屋バーがありますので、よろしければ。
ふるさとの 芋送られて 芋ごはん  それにつけても 金の欲しさよ
 
時期尚早の宗匠・市川より
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市川は、私の高校2年から3年にかけての寮の同僚だ。同僚というよりも同室の後輩といったほうが適当かもしれない。彼は私よりも確か3歳ほど年下だからだ。寮は二人部屋だった。市川と私とは2年間同室だった。

私が大学を卒業し就職してから10年近く市川とは音信不通になっていた。私が留学から今の職場に戻ってきて何年か経った頃、突然彼から手紙をもらった。私の記事がある雑誌に載っているのをみて驚いたという手紙であった。確か「通販生活」であったように思う。

その手紙をもらった直後に渋谷で彼と会った。彼は昔と全く同じであった。私は相変わらず先輩面をして「おい、市川」と彼を呼ぶ。彼は彼で「國弘さんは・・・」ともじもじしながら私に語りかける。番頭と丁稚のような関係だ。こういった関係は終生変わらないもののようだ。

彼と渋谷であったとき、彼はまだ独身であった。彼の私生活の詳細はわからないが、おそらくまだ好きな連歌三昧の生活を送っているのであろう。

彼は独特のユーモアを持っている。近いうちに彼と会って「宗匠」にどれほど近づいたのかを確かめてみなくては。

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