2020年12月29日火曜日

喪中の葉書

11月に入ると喪中の連絡葉書が届き始める。今年も30通ほどの喪中葉書をいただいた。多くは天寿を全うしたといえる年齢に達したご親族の訃報である。しかし、「えっ」と驚かされる喪中葉書も混じっていることがある。
 
山梨県に住む30年来の知人が亡くなったことを知ったときには葉書を見つめたまましばらくその場に立ちすくんだ。知人の奥さまからの訃報であった。その葉書には知人の病名については書かれていなかった。手書きで「薬が効かず、亡くなりました」と書かれていた。
 
翌朝、私は奥さまに電話をかけた。電話に出られたときの奥さまの声は元気であった。しかし私からの電話であることを知ると、急に感極まったようであった。そしてご主人の発病から亡くなるまでの経過を涙声で話してくれた。膵臓がんであったという。発病したのは今年8月。それから3か月足らずで亡くなったということであった。その知人には3人のお子様がいる。そのうちの一人はアメリカで仕事をしていたが、コロナウイルス騒動のためビザが下りず、なかなか帰国できなかった。主治医に英文の手紙を書いてもらい、なんとか帰国ビザを取得できたということであった。主治医から余命4か月と告げられた知人は自暴自棄になり、自宅で荒れたらしい。最期は三人のお子様と奥さまに見守られながら自宅で息を引き取ったという。
 
亡くなった知人は奥さまと二人でペンションを経営していた。フランス料理のシェフでもあった。私はその知人の経営するペンションに2度泊めてもらい自慢のフランス料理を振る舞ってもらった。一度は仕事関連の友人と一緒。もう一度は、私の家族でうかがった。亡くなった父親と母親もいっしょであった。もちろん家内とまだ幼かった息子もいた。家族5人が揃って旅行したのはそれが最後となった。仕事関連の友人とのときは夏であったが、家族とうかがったのは三月。まだ山中湖周辺には雪が残っていた。アルバムを探すと、そのときの写真が出てきた。2004年3月21日の写真であった。あれから17年近く経つ。私の両親も既に亡くなった。
 

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