2018年7月11日水曜日

家族という病 下重 暁子

今、下重暁子氏の「家族という病」を読んでいる。まだ半分ほどしか読んでいないが、家族というものに関する私の考えと彼女の考えとはだいぶ異なる。しかし、自分の興味や関心事に正直に生きていこうとしている人たちに対する彼女の共感には交換が持てる。

 第2章まで読んだ私は、彼女は単純に家族否定者であろうと思っていた。しかし第3章に入り、トーンがガラッと変化した。第3章のタイトルは「家族を知る」。「介護で親子は互いを理解する」、「親は要介護になってはじめて弱い姿をわが子に見せられる」といった見出しが続く。まだ第3章を読んでいる途中であるが、第4章のタイトルは、「旅立った家族に手紙を書くこと」。

どうやら、彼女は全面的に家族というものを否定しているわけではないようである。単に、血の繋がりだけで束縛し合う家族というものを否定しているのかもしれない。

2013年6月に父親が倒れて緊急入院した直後に姉と姉の長女は両親との絶縁を私に告げた。以来、父親と母親の生前、姉と姉の家族は、一度も両親の見舞いには来なかった。父親の葬儀にも参列しなかった。

私は2年間、東京と高知とを行き来しながら懸命に両親を介護した。肉体的にばかりでなく精神的にも衰弱した両親を間近で見ることは辛いことであったが貴重な体験であった。両親の最期を看取った満足感は、生涯、私の精神の糧になると思う。

姉は両親の最期を切り捨てた。生涯、悔やみきれないであろう。両親は亡くなった。姉が自ら放棄した貴重な時間を取り戻すことはもうできない。

0 件のコメント: