2021年3月25日木曜日

LINE

先日の夜、散歩中、LINEにメッセージが届いた。高校時代の友人からであった。彼は私が最も信頼する友人のひとりである。しかしこの数年、彼とは会っていなかった。電話で話したこともなかった。昨年7月に私が転勤した直後にメッセージをやりとりしただけであった。今年私が出した年賀状にも返信はなかった。(喪中であったためであろう。後で気づいた。)

彼のご両親は数年前から土佐市内の養老施設に入っていらっしゃったが、お父様は昨年亡くなった。彼の中土佐町久礼の実家が空き家になっている。私が高知に帰省するときにはそこに泊まってくれと彼は言ってくれる。

半世紀昔のことになったが、高校時代、彼の家に何度か遊びに行った。泊めてもらったこともある。彼の家は材木商であった。彼の顔はお父様似。面長で下顎が張り出していた。お母様は対照的に丸顔。いつも笑みを浮かべていた。3人の息子を育ててきた母親としての自信に満ち溢れていた。(友人は三人兄弟の長男。)彼の家に行ったときには、いつも近くの広場で彼の家の原付に乗って遊んだ。当然、無免許であった。彼のお母様は家でアイスクリームを売っていた。いつも高価なレディーボーデンを冷凍庫から取り出して振る舞ってくれた。笑いが絶えない朗らかな一家であった。一方、私はその頃、両親の不和に苦しんでいた。子にとって自分の親の仲が悪いことほど辛いことはない。笑いの絶えない彼の家族を羨ましく思った。

ところが、いつ頃であったのかは定かでないが、彼がご両親と絶縁状態になっているとある友人から聞かされた。確かに彼は毎年暮れに高校時代の友人と開く同窓会の後、自分の実家には帰らず、奥様の実家に戻っていった。理由は友人の誰も知らなかった。彼もその理由を語ろうとはしなかった。私は、自分の体験から、どんな事情があろうと血を分けた肉親は許し合って生きていくべきだと思っていた。しかしそんな説教じみたことを彼に言う気にはならなかった。私は、彼は私の何倍も生きる達人だと思っていた。他の友人も彼に何も言えなかった。

私が彼のお父様に最後にお目にかかったのは、2013年ではなかったかと思う。私が両親の介護のためによく高知に帰省している時期のことであった。誰もいなくなった実家の窓を開け、掃除し、庭の草をむしり、布団を干す。介護は孤独な作業であった。入院して いる両親を見舞っても、病状は悪化する一方。数少ない気分転換方法は高知市での日曜市と中土佐町久礼の大正市場を訪れることであった。両親が入院していた病院から大正市場までは車を飛ばせば30分ほどで行けた。友人の実家を訪れたのは大正市場からの帰路であった。彼の実家を最後に訪れてから40数年が経っていた。彼の実家にたどり着くまで、多くの人たちに道を尋ねねばならなかった。玄関のチャイムを鳴らすと、程なく背の高い老人が玄関に出てきた。彼のお父様であった。腰も曲がっておらずかくしゃくとされていた。短時間話を交わしただけで私は彼の実家を立ち去った。彼と彼の両親とが絶縁状態であることを知っていたからである。ただ、彼のご両親が養老施設に入られた頃には、彼とご両親との間の絶縁状態は解消されていたようである。

先日、彼から届いたLINEのメッセージの冒頭は以下の通りである。

「元気にしているか?会社辞めて自分の考えを言うようにます。
孤立しています。いと
くにひ国広と井戸もとよし
御免なさい」

誤字脱字だらけである。「いと」といのは友人の「井戸」のことであろうか。「もとよし」というのはもうひとりの友人である「元吉」のことであろう。

彼とはこの後、メッセージのやりとりをしたが、最後まで要領を得なかった。単に泥酔されていたためだけならいいが。詳しく語ろうとはしなかったが、彼は大きな悩み事を抱えているようであった。今、彼と交わしたLINEのメッセージを読み返してみると、冒頭の「孤立しています」という文言が気になって仕方がない。社交的で人懐っこい彼が孤立するような事態が起きるとは想像できない。

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