2018年4月24日火曜日

母の思い出 2

国立高知病院に緊急入院した母親を数日後に見舞ったとき、母親はナースステーションの隣の部屋に寝かされていた。ナースステーションと母親のベッドとの間には扉がなく、母親の状態はナースステーションから常に観察できるようになっていた。

母親はまだ激しい痛みを訴えていた。鎮痛剤を頻回投与しても痛みが取れないようであった。苦しそうであった。母親は激しい痛みに苦しみながら、私にあることで強い怒りをぶつけた。

母親が緊急入院した当初、母親はたびたびナースコールボタンを押したらしい。度重なるナースコールに耐えかねたのが原因だったのかもしれないが、母親は何日間か、真っ暗でナースコールボタンもない部屋にひとり閉じ込められていたというのだ。母親は病院に対して激しく怒っていた。いずれ、このことを病院に訴え出ると言った。

私は、機会があれば、このことについて国立高知病院の管理者に事情を訪ねようと思っていた。しかし、結局、その機会が訪れることはなかった。

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