2016年9月2日金曜日

介護 土佐市民病院

私の父親が2度目の出血性脳梗塞の発作に襲われたのは、2013年6月の最後の金曜日のことであった。その日の午後5時過ぎ、私が新宿西口のヨドバシカメラでの買い物を終えてJR新宿駅に向かっていたとき、姉から電話がかかってきた。姉は、興奮した声で、父親が2度目の発作で土佐市民病院脳神経外科に入院したこと告げた。そして、2日後には意識がなくなるのでそれまでに親族に会わせておくようにと主治医から指示されたと言った。

しかし、直接、空港に向かうことはできなかった。一旦は帰宅しなければならない。私は自宅にいる家内に電話をかけて父親が倒れたことを告げ、荷づくりをしておいてくれるように頼んだ。喪服も用意してくれるようにと言った。

当然、その日の飛行機の最終便には間に合わなかった。しかし、幸い、翌日の始発便の予約がとれた。

私は、父親の病気の治療は主治医に任せる以外にないと腹をくくった。ただ、命は助かっても闘病生活は長期になるだろう。治療費をどう捻出するか。また、自家で寝たきりの母親をどう介護するか。一人で途方に暮れた。

午後8時過ぎになって私は高知に住んでいる一人の友人に電話をかけた。彼は司法書士であった。2011年6月に父親が初回の脳梗塞発作で倒れたとき、私は彼に仲介してもらって父親との間に任意後見人契約を結んでいた。

彼は、主治医に診断書を書いてもらうようにと私に指示した。そして、診断書の見本をファックスで送ってくれた。

彼からのファックスが届くと、私は直ちに土佐市民病院に電話し、病院のファックス番号を尋ねた。

続く

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