2016年6月11日土曜日

小林麻央の報道を耳にして

つい先日、患者の病室を訪れると、市川海老蔵氏の記者会見の模様がテレビで流されていた。海老蔵氏の妻である小林麻央さんが進行した乳がんと闘っているという。

私は、芸能人をほとんど知らない。「小林麻央」という名前すら耳にしたことがなかった。「海老蔵」という名前は時々耳にしていたが、フルネームは知らなかった。

テレビで流されている海老蔵氏の記者会見を聞きながら、私はある一人の女性のことを思い出していた。その女性は私が勤務する慶應病院の看護師であった。当時、30歳代前半であったと思う。耳鼻咽喉科外来によく手伝いに来てくれていた。しかし私は、彼女と会話を交わしたことはなかった。

彼女には3人の子がいた。そして4人目の子の妊娠初期に彼女が肺がんに侵されていることがことがわかった。しかし彼女は治療を拒否し4人目の子を出産した。4人目の子を生んだとき、担当医から、余命は11か月と宣告された。彼女は生まれたばかりの子を思い、「この子は母である私のことを覚えておいてくれない。この子には私の思い出が残らない」と言って身近の同僚に嘆いていたという。

まもなく彼女は病院から消えた。彼女がいなくなったあと、職場の誰も彼女のことを話題にすることはなかった。私も彼女について尋ねたことはない。おそらく彼女は出勤しなくなってから程なく亡くなったのであろう。

彼女の4人目の子は何歳になったであろうか。中学生にはなっているであろう。その子は、物心つく前になくなった自分の母親の写真を首にかけて毎日通学しているのかもしれない。

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