2015年8月6日木曜日

死について

死について考えることがめっきり増えた。直接のきっかけは私の父親の死であった。私の父親が死んで1年5か月経ったが、まだ悲しみは消えない。和らぐこともない。多分、この悲しみは生涯消えることがないだろうと最近思うようになった。と同時に、父親の死を心から悲しんでくれる人はせいぜい数人しかいないだろうとしか思えないことに人生のはかなさを感じるようにもなった。

私が死んだあともそうであろう。私の死を心から悲しく思ってくれる人は家族を含めても数人しかいないだろう。他の人びとの記憶からは、私が生きていたという記憶すら一日ごとに消え去っていくことであろう。

ただ、私はこのことを寂しいと思っているわけではない。心から私を慕ってくれている人を大切にしなければいけないと強く感じるようになっただけである。

私は今も最低月に1回は帰省する。40年以上故郷を離れていた私を何かにつけて助けてくれる親戚や近隣の人たちもいれば、逆に私の悪口を言ったり罵ったり怒鳴りつけたりと、私の足を引っ張るだけの親戚もいる。この体験は、私に血縁というものを全く信じなくさせた。

父親が倒れて以来、思いもかけなかった人たちが私を助けてくれている。母親が生きている限りこの人たちにはお世話になり続けなくてはならない。今はその人たちの好意に甘える以外にない。しかし、母親が亡くなった暁には、その人たちに対しては心からお礼をしようと思う。逆に、私が困っているときに私の足を引っ張り続けた人たちの顔は、私の記憶の中で、鬼のような顔貌へと変っていくに違いない。

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