2015年5月31日日曜日

叔父

この叔父について書くのは2度目になる。私の母親には3人の男兄弟がいたが、この叔父は上から2番目の男兄弟である。2年前の9月に亡くなった。

小さい頃から、私はこの叔父をとても尊敬していた。いやそれ以上に感謝していた。

私が地元の私立の中学に進学したとき、私の保証人になってくれたのはこの叔父であった。私が高校を卒業するまでの6年間、この叔父がずっと私の保証人になってくれた。この叔父に保証人になってくれるように依頼したのが実の姉である私の母親であったのかそれとも私の父親であったのかは知らない。いずれにしろ、私の父親も親族のなかではこの叔父を最も信頼していたことは間違いがない。

私は小学生になるかならないかの頃、この叔父が私の実家を訪れたときのことを今でも憶えている。当時、私の実家は藁葺きの今にも倒れそうなぼろ屋敷であった。家の中には電灯がともってはいたが、いろりのあった部屋はいつも薄暗かった。

叔父が私の実家を尋ねてきたとき、傍に家族の誰がいたのかは記憶がない。私が憶えているのは、叔父が私の家族との会話を少しの間中断して私の方に顔を向け、急に私の脇の下に両手を入れて私を高く持ち上げてくれたことだけである。そのとき、叔父は何か一言喋った。「よいしょっ」といったようなたわいのない言葉だったのかもしれない。

言葉はどうでもよい。私は、叔父の愛情をそのとき感じたのだ。

叔父の人生は必ずしも順調ではなかった。しかし決して義理を欠くことはなかった。何かの御礼にと私が叔父の家に何かを送ると、必ずそれ以上のお返しが返ってきた。

叔父の奥様にもひとかたならぬお世話になった。叔父と叔父の奥様とはいとこ同士であり私とも血のつながりがある。私とは従姉妹半の関係である。私が年末年始に帰省する直前には、この奥様は毎年、私の実家の掃除にでかけてきてくれた。母親の身体が不自由であったので手伝いに来てくれたのだ。

それに対して、私の両親は何度も御礼をしようとしたが、決して受け取ってくれなかった。叔父夫婦には男の子が2人いた。ふたりともまだ独身である。だから、彼らが結婚したときにこそまとまった御礼をするつもりだと母親は口癖のように言っていた。

父親が病気で倒れたときには既に叔父は亡くなっていたが、その奥様は変わりなく私たち家族を助けてくれている。私は実家に帰るたびに実家を片づけている。不要なものを倉庫に仮置きしている。それらのゴミを誰かが少しずつ持っていってくれている。その奥様と息子さんとが運んでいってくれているようだ。

何かの時のためにと少しのお金をその奥様に差し上げたが、母親のためにいろいろと買ってくれたときの領収書を添えて残金を全額返してきた。どうしても受け取ってくれない。

この叔父の家族は、実にお金にきれいな一家である。

父親が倒れて以来、実家の近くに住む人たちや親戚たちには随分厄介をかけた。助けてくれた人もいれば、このときとばかりに私の足を引っ張った人もいる。誰が信頼でき誰が信頼できないかもよくわかった。

自分がほんとうに困っているときに心から私を助けてくれた人たちに対しては、母親が亡くなったあと、まとまった御礼をするつもりでいる。逆に、私の足を引っ張った人たちからは黙って立ち去るつもりだ。そして高知との縁を一切切るつもりでいる。

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