2014年6月21日土曜日

父が亡くなって

昨年の夏のことである。その頃、私の父親は出血性脳梗塞のため既に入院し、実家には母親だけが住んでいた。

私は母に尋ねた。なぜ父親と離婚しなかったのかと。

私の両親は私が物心ついてからずっとけんかばかりしていた。しかも単なる口げんかではなかった。父親の暴力によって母親の顔が大きく腫れ上がったことも一度や二度ではなかった。母親はそんなときでも手ぬぐいで顔を隠しながら仕事を続けた。

父親の暴力は私が中学校に入った頃、更にひどくなった。私も姉も、酔っ払って帰ってくる父親の気配がすると怖くて全身を震わせた。母親に対する父親の暴力がやむことはなかった。私も姉も母親も親戚の家に逃げていったこともあった。しかしどこに逃げても父親が私たちを連れ戻しにきた。私は帰りたくなかった。しかし母親は、父親が来ると、なぜか素直に家に戻った。

何度か私だけは実家に帰らず、叔父の家から高校に通ったことがある。当時、叔父はまだ独身であり一人暮らしであった。叔父は私に向かって、納得がいくまで叔父の家にいていいと言ってくれた。

その叔父は昔から口数が少なかった。

そんな叔父が仕事の合間に話してくれたことを私は今でも鮮明に覚えている。

両親の不仲は私の人生を大きく変えた。思春期のまっただ中にいた私の心はずたずたに傷ついた。30歳になった頃まで私は人間不信の塊であった。

話を元に戻す。

なぜ離婚しなかったのかという問いに、母親はこう答えた。「この男についていれば金には困らないと思った」と。

この答えを聞いたとき、私はほっとした。父親と離婚しなかった理由がひとつだけでもあったのであれば母親の人生には救いがあったと私は感じたのだ。

母親が離婚しなかった理由はもちろん、それだけではなかった。母親の実家の世帯主であった母親の兄が若くして亡くなっていた。その兄の死後は、未亡人となった義理の姉が母親の実家を支えていた。実家に戻っても母親の居場所はなかった。

こんな夫婦であったから、父親が亡くなっても母親はさほど悲しまないだろうという思いもないわけではなかった。ところが父親が入院すると母親の態度はがらっと変わった。今年3月7日に父親が亡くなると母親は更に元気をなくした。私が電話をかけても出ない。電話がかかってくることもなくなった。先日、病院に入院している母親を訪ねたときには、携帯電話は充電すらされていなかった。電話をかける気力も電話を受ける気力もないという。

父親が亡くなった直後、歩行のリハビリテーションをしばらくやめてしまったために筋力が低下し、母親は全く歩けなくなった。そればかりではない。寝返りすら打てなくなった。

60年間けんかし続けた両親。母親は今、自分よりも先に亡くなった父親に向かって、「私よりも先に死んでけしからん。私が死んだらあの世で懲らしめてやる!」と毎日、心の中で叫んでいるという。精一杯、自分を励まそうとしているのだ。

夫婦間の感情の綾は、実の息子であっても理解できない。

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