2014年6月11日水曜日

死について 1

7〜8年前、私の友人のお母さんが亡くなった。死因は交通事故。彼のお父さんが運転している自動車の助手席に乗っているときに対向車と正面衝突した。即死であった。

この知らせを友人から私が受けたのは、その交通事故から数日後であった。そのとき、彼は、お父さんが入院している病院から電話をかけてきた。

私はしばらく言葉を出せなかった。しかし彼はきわめて冷静であった。そして彼のお父さんが交通事故を起こした原因について医学的な質問を私にぶつけた。

私は彼の質問に答えながら、人生の皮肉に愕然とさせられた。不幸は、家族の間の愛情とは全く関係なく襲ってくる。まさか、あんなに円満な家族にこんな不幸が襲うとは・・・。

彼のお母さんの死は、彼のその後の人生を大きく変えた。昨年、お父さんが亡くなるまで、彼は欠かさず月に2回帰省した。そしてお父さんに代わって農作業をした。田んぼや畑に草を生やしたままにすると隣の土地の持ち主に迷惑がかかるからといって、彼は全く収入にならない稲や文旦の栽培を汗水垂らしながら続けた。文旦の収穫の時期には、私の家に収穫した文旦を山のように送ってくれた。

そんな彼が時折私に寄こしたメールには、彼が高知空港に降り立っても誰も迎えてくれないことへの寂しさが綴られていた。彼が帰省するたびに「帰ってきたかよ」と出迎えてくれるご両親の姿がないことを彼は悲しがった。

彼は悲しみをこらえて「俺は、残った親父に孝行する!」と言った。そしてそれを実行した。

彼は、「これからはもう、自分のしたいことしかしないぞ!」とも言った。

つい先日も彼は帰省したらしい。彼の実家には誰も住んでいない。墓を掃除し畑の手入れをしたという。腰が痛くて仕方ないと彼からのメールには書かれていた。お父さんが亡くなった後も、彼は月に1回は実家に戻っている。

名古屋に家を構え、もう高知に帰ることがない彼が、なぜ今もその土地を手放さないのか、その理由が私にはよくわかる。彼にとってその土地は、彼の心の中で生きている両親そのものなのだ。

私は、彼とは対照的に、私の父親が生前着ていた服は処分した。土地もほとんど親類に譲った。私の父親が生きた証は、私の心の中で生き続ければいいと思っている。そして私が死ねば、私の父親を思い出す人はいなくなる。そのとき、父親が生きた証もこの世から全て消える。

親に死に対する私たちの対応は対照的である。しかし、親を失った悲しみには、大きな差はないだろうと思う。

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