2013年12月9日月曜日

久しぶりに

久しぶりに投稿する。

このブログを書くのを中断してからどれほど経ったであろうか。2年以上経つかもしれない。ブログを書かなくなった最も大きな理由は、息子が思春期を迎えたことであった。息子が変化していく姿を眺めていると自分自身の思春期の思い出が次々とよみがえってきた。中学・高校時代は、私の人生のなかで最も不幸な時期であった。思春期は多感な時期であるからといった理由だけで片づけることはできない。

ただ、息子はいつの間にか15歳になった。思春期の真っ最中である。幸い、友達にも恵まれ、毎日、楽しそうに学校に出かけていく。塾も楽しそうである。残念なことは、今年6月27日に父親が脳梗塞で倒れたことである。半身不随となったばかりでなく、会話もできない。8月13日には母親も胸椎骨折で入院した。二人ともまだ入院中である。退院のめどは立たない。それどころか、父親の病状は日々悪化していく。おそらく1年以内に亡くなってしまうであろう。

突然、両親の後見人を務めることになった私は、つい最近まで途方に暮れていた。両親と私は40年間離れて暮らしてきた。当然、家計も別々である。わからないことばかりであった。

最も苦労したのは父親が所有する不動産の始末であった。田舎の山奥の土地を欲しがる人などいない。いや、それ以前に、父親が所有する土地がどこにあるのかすらわからない。市役所に出向き、名寄帳と切り図をコピーしてもらった。それだけが父親の土地を見つけだす唯一の手がかりであった。雨の中、切り図だけを手がかりにいくつもの山をかけずり回った。孤独な作業であった。

幸運だったのは、実家の近所の人たちや親戚が助けてくれたことである。銀行に行っても、そこには必ず知人や高校時代の同級生がいて相談に乗ってくれた。ありがたいことであった。

父親が倒れて5か月余り。実に多くの親戚や隣人、知人と会って話した。彼らの印象は数十年前と全く変わっていなかった。

父親の人生をきちんと終ってあげなければならない。しかし父親の命はもう長くない。時間との競争である。数十年ぶりに故郷の土地・人びとと接しているうちに、少しずつではあるが私自身の青春時代を懐かしく振り返ることができるようになってきた。このことだけが唯一の救いである。

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