2012年5月3日木曜日

訃報 岡和義先生

昨夜9時30分過ぎに自宅を出て軽井沢に出かけてきた。高速道路は渋滞しており、途中、パーキングで4回休憩をとっった。軽井沢に着いたのは今朝の午前1時30分であった。4時間かかった。普段は眠気をこらえて休まず運転する。しかし数日前に起きた関越自動車道でのバスの衝突事故が私を慎重にさせた。その事故では7名が亡くなり、残る乗員乗客の全員が重軽傷を負った。

今朝目覚めたのは10時。家内も息子もまだぐっすり眠っていた。

パソコンの電源を入れ着信メールを確認すると高校時代の同級生からメールが届いていた。私の高校時代の恩師が亡くなられたことを知らせる内容であった。

恩師の岡和義先生。私が高校1年のときの担任。3年間、数学を教えていただいた。当時、すでに頭は真っ白であった。その白髪が実によく似合っていた。岡先生からは常に清潔感が漂ってきた。身だしなみも丹精であった。

岡先生は神父でもあるとクラスメートから聞いたことがあった。しかし岡先生の口からキリスト教の話が出たことは一度もなかった。宗教についての話を聞かされたこともほとんどなかった。

こんな岡先生が、授業中、次のような話をされたことがある。

「男性であっても女性であっても、人間らしく生きようとしていれば、自ずと男性は男性らしく女性は女性らしくなる。」

長い間、私は、この岡先生の言葉の意味を取り違えていた。私は、この岡先生の言葉は、男性と女性が生まれながらに持つ違いを否定するものであると思っていた。

最近になって、私は、そうではなく、この言葉は、逆に、いやおうなく生じる男女の違いを認めるものであったのでないだろうかと思うようになった。

幼児に電車のおもちゃを与えると、男の子はその電車を車の一種として取り扱う。その電車を床の上で走らせようとするのだ。一方、女の子はその電車を人形として取り扱い、ベッドの下に寝かせることもあるという。私には男児しかいないので真偽はわからないが。

生まれながらにして男と女は違う。これは自分の子を持てばたちどころにわかることである。男と女の違いを無視し、男女を無理に均一化しようとしているのが今の教育である。その結果はどうであったか。日本の現状を見れば一目瞭然であろう。男性は女性のがさつさや厚かましさにうんざりしている。女性は女性で、男性の頼りなさにフラストレーションをためている。

話を戻す。私が高校2年になったとき、クラス替えがあった。私は理科系のクラスを選択した。岡先生は文科系のクラスの担任となった。

この岡先生のクラスの学生2人(男女)が失踪したことがある。学校中が大騒ぎになった。二人は数日後、中国地方のある県で保護された。

駆け落ちであったのか、それとも急に思い立った単なる2人だけの無断旅行であったのか、クラスが違った私にはわからなかった。

二人が保護され高知に連れ戻されたあと、岡先生は、女子学生が自分のクラスに戻ることは許した。しかし一方の男の学生が同じクラスに戻ることを頑として認めなかった。その男の子は隣のクラスに「引き取られ」た。今もお元気でいらっしゃる谷脇先生(愛称:たにしん先生)が、「彼が可哀想だから」と彼を自分のクラスに受け入れたということであった。

当時の私は、その話を聞いたとき、岡先生はなんと厳しい先生なのだろうと思った。そして男子学生だけに厳しい岡先生の姿勢に反発心を抱いた。私は、岡先生の男子学生に対する姿勢は男というものに対する不当な措置であると思った。(今、冷静に考えれば、駆け落ちをした二人を元の同じクラスに戻すことは無理であった。)

大学に入学したあと、私は同じ大学(だだし、経済学部)に進学した同期生といっしょに岡先生のご自宅を訪問したことがある。

岡先生と奥様が私たちを歓待してくださった。この日、岡先生は饒舌であった。いくら数学が得意であっても生きていく上では何の役にも立たないことを嘆かれた。

お二人にはお子さまがいらっしゃらなかった。このことがお二人の人生を寂しいものにしていた。奥様はとても上品で物腰の柔らかい女性であったが、どこか自信なさそうであった。子を産まない女性がどれほど寂しいものかを私は初めて知った。

その後、岡先生とのご縁は薄くなった。岡先生の姿を同窓会の会場で1〜2回お見かけしたことがある。しかしお話しする機会はなかった。

白いヘルメットをかぶり、原付に乗って通勤されていた岡先生の姿が今も目に浮かぶ。授業中の岡先生の身振りや手振り、そしてその声も生涯忘れることはないであろう。そして岡先生の生き様は、私の生き方にも少なからぬ影響を与えていると思う。

私が中学校・高校の6年間にお世話になった3人の担任の先生は全て亡くなった。

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