2011年3月12日土曜日

「ちんば」と「つんぼ」

「ちんば」というのは土佐弁である。「びっこ」という意味である。現代流の表現を用いれば「脚が不自由」ということになる。私にとって「ちんば」という言葉は差別用語でもなんでもない。土佐弁の「ちんば」という言葉には身体の不自由な人を蔑むといった響きはない。

私の父方の祖父はちんばであった。私が物心ついたときには既にびっこを引きながら歩いていた。「びっこを引く」という表現は適切でない。ひどい0脚であったのだ。だから歩くと、左右に大きく状態が揺れた。たまにではあったが、曲がった膝は腫れた。そのたびに祖父は近所の医師に関節に溜まった水を抜いてもらっていた。しかし、祖父は自分がびっこであることを悲観しているように見えなかった。なぜ自分がちんばになったのかを話すこともないまま、祖父は1982年に88歳で亡くなった。

祖父がなぜちんばになったのかを知ったのは、祖父が亡くなってから30年も経った昨年の秋のことであった。父との雑談のなかで偶然その話が話題に上ったのだ。

祖父が保証人になっていた知人が急死し、我が家が多額の負債を抱えたことがあることは既に書いた。当時、近所の人たちは祖父が歩いているのを見ると遠ざかったという。金をせがまれるのではないかと恐れたらしい。祖父は不平ひとつ口にせず、ひたすら働き、誰に借金もすることもなくその多額の借金を返済した。ちんばになったのはその代償であった。

祖父が野良仕事から帰ってくるときにはいつも大きな荷を背負っていたそうである。遠くから見ても一目で祖父だとわかったらしい。大きくて重い荷物を毎日のように担いだために祖父の膝は大きく曲がったのだと父は私に語った。私が物心ついた頃、既に祖父は家督を私の父親に譲り、隠居の身分であった。祖父が比較的若くして隠居の身になったのは歪んだ膝のためであったという。

こんなことを私に語る父も既に78歳になった。あと1週間後には79歳になる。すっかり耳が遠くなった。「つんぼ」になった。私の祖父は「ちんば」、父は「つんぼ」である。私はやがて「盲(めくら)」になるのであろうか。

「ちんば」も「つんぼ」も「めくら」も不自由ではあるが恥ずべきことではない。少なくとも土佐弁では恥ずべき障害という響きはない。

昨今の言葉狩りは困ったものだ。

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