今日は晦日。今年もあと1日を残すだけとなった。2014年3月に父親が亡くなって以来、揉めに揉めた父親の遺産相続問題も裁判所の裁定で決着がついた。姉を名誉毀損で訴えた民事訴訟も勝訴となった。母親の遺産相続でも姉と徹底的に争うつもりであった。しかし、私の人生最後の姉への情けとして姉の要求を一部受け入れたところ、母親の遺産相続の問題はあっけなく片付いた。11月末で全てが決着した。
父親の葬儀には、姉の親族のなかでは姉の夫である義兄一人だけが参列してくれた。姉と姉の4人の子供たちは誰も来なかった。その1年5ヶ月後に亡くなった母親の葬儀にも姉も姉の子供たちも参列はしないだろうと思っていた。ところが、姉と姉の長女と次女が告別式に訪れた。
しかし、姉にも姉の子供たちにも参列してもらわなかった方がよかった。彼らは私の母親の葬儀を汚しに来ただけであった。まず、3人とも親族席に座らなかった。一般席のしかもその最後部に並んで座った。焼香も最後であった。姉は祭壇までは来たが焼香はしなかった。そして、式場では、姉の長女が、参列者たちに対して「裁判をやれば私たちが勝つと、誰もが言っている」と話していたという。従姉からこのことを告げられた私は、「裁判とは何のことだろう」といぶかしく思った。母親が亡くなったときには、父親の遺産相続問題で調停中であったが、裁判にはなっていなかった。私が姉を名誉毀損で訴えたのは、母親の死後、かなりの時間が経過したあとであった。その裁判で私は勝った。姉が夜中に繰り返しかけてきた無言電話や留守番メッセージは今も大切に保存している。
「あなたたち3人がしたことは全て知っちょります」で始まる姉の留守番メッセージを初めて聞いたのは、私が池袋駅から大塚駅に向かって歩いているときであった。留守番メッセージは3回残されていた。姉は酔っていたのか、ろれつが回っておらず、周囲がやかましかったこともあってなかなか聞き取れなかった。しかし、姉の声の響きだけで背筋がぞっとした。これらのメッセージは、関係者に今後繰り返し聞いてもらうかもしれない。
「あなたたち3人」が誰を指すのかわからなかったが、長い間、それは私と私の両親を指しているのであろうと思っていた。「あなたち3人」が私と私の家内と私の長男を指していることを知ったのは母親の葬儀の翌日であった。その日、私は葬儀に参列してくれた親戚をお礼のために訪れた。その際に、ある親戚から、その前の晩(つまり葬儀の日の夜)、姉から電話があり、私と私の家内と私の息子が母親の預金通帳の名義を全て自分たちの名義に書き換えたと告げたといい、私たちに対しする憎しみを抱いていたと告げられた。
この話を親戚から聞かされた私の家内は絶句した。私も驚いたが、同時に「あなたたち3人」が私と私の両親のことではなく私と私の家内と私の息子であることを初めて知り、姉の異常さが気味わるくなった。
裁判の場で、姉は、「ある従姉(実際には実名)がそのように私に告げたからそれを信じていた」と陳述した。事実を確認せずこのような発言をすることが許されるのであろうか。
姉は、自分に不利な事実については、全て「ご近所の人たちがそう話していた」とか「従姉からそう聞いた」と証言して、ことごとく責任を逃れようとした。
姉も姉の長女も人ではない。両親は亡くなった。取り返しはつかない。