新しい墓地は決まった。家庭裁判所からも改葬許可が得られた。しかしその後も大変であった。市役所からも改葬許可をもらわねばならなかった。過去70年間に亡くなった先祖の戸籍一覧を市役所で発行してもらったが、全ての先祖の名前が✖️印で取り消されていた。人の生は単にひとつの✖️印でこの世から抹消されるのだと思うと、虚しさを感じた。私の両親の名前も同様に✖️印ひとつで抹消され、親しかった人たちからも忘れ去られていく。
土葬されている先祖の墓を掘り起こすにあたっては、まず菩提寺に依頼して魂抜き(閉眼供養)をしてもらわなければならなかった。閉眼供養の当日には、私の家内と息子も立ち会った。住職はひとつひとつの墓の前で読経した。そして読経が終わると、クルッと墓石を捻り、向きを変えた。この閉眼供養の儀式は1時間近く続いた。儀式が終わった後、短時間、住職と会話を交わした。その際、我が家の宗教が真言宗になったのはそんなに昔のことではないと聞かされた。先祖の戒名からわかるのだという。驚きであった。元々は何宗であったのか、どうして真言宗に改宗したのかについても聞かされたが、残念なことに、それらについては忘れてしまった。
墓を掘り起こす作業は専門業者に依頼した。二日がかりであった。この作業には私とひとりの従兄が立ち会った。驚いたことに、殆どの墓で遺骨は亡くなっていた。残っていたのは、50年前に亡くなった祖母の遺骨と30年前に亡くなった祖父の遺骨だけであった。祖母はビニール袋に包まれて埋葬されていたためか、祖父よりもしっかりとした骨が残っていた。作業員の方々は祖父母の遺骨を丹念に拾い集めてくれた。遺骨が残っていない墓からは、一握りの土だけを丸めて布袋に入れた。そう、人は死ぬと、土に還るのだ。
ほとんどの墓からは一握りの土しか回収できなかったため、東京で設けた墓に容易に納骨することができた。魂入れ(開眼供養)の儀式は、インターネットで探した名も知らぬ僧侶に依頼した。父親の四十九日の納骨の直前であった。
父親の納骨の日には、別の僧侶に読経を依頼した。私と私の家内、そして一人息子が立ち会うだけの寂しい四十九日であったが、父親はきっと喜んでくれているだろうと思った。
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