もみの木病院に入院した父親の容態は私が帰省するたびに悪化していった。私は、司法書士の友人の力を借りて家庭裁判所に任意後見人の申請を行い、家庭裁判所内で面接審査を受けた。面接の担当官は女性であった。残念ながら、その面接担当官から話されたことも私が担当官に話したことも、ほとんど覚えていない。ただ、その担当官は、面接のあと父親が入院しているもみの木病院に足を運び、自分の目で父親の病状を観察してくれた。
私が家庭裁判所から任意後見人に指名され高知駅近くにある法務局で登記事項証明書を受け取ったのは2013年9月中旬であったように思う。9月上旬であったかもしれない。その登記事項証明書を持参すれば、市役所でも銀行でも、本来父親本人でなければできない手続きができるはずであった。ところが、そうはならないことが多かった。登記事項証明書がいかなる書類であるのかを知らない窓口の担当者が少なくなかったからである。登記事項証明書を持参するようになった後も、銀行の窓口で長い時間待たされることが珍しくなかった。
市役所や銀行に出向かなければならないときには、私は平日、仕事を休まねばならなかった。任意後見人に指名された後は、土曜日の始発便で羽田を発って高知に帰り、月曜日の最終便で東京に戻ることが多くなった。月曜日には朝食も昼食もとる時間がなかった。月曜日には市役所や銀行を回るだけでなく、父親の不動産の処理をするために行政書士の方や土地家屋調査士の方々と打ち合わせをしたりしなければならなかった。天気がいい日には実家の掃除もせねばならなかった。父親にも母親にもとても申し訳なかったが、両親を見舞う時間は極端に少なかった。東京に戻る日には、高知龍馬空港その日のはじめての食事をとることが珍しくなかった。重い荷物を抱えて高知から東京の自宅に戻ったとき、私の顔は青ざめ、唇も白くなっていたという。
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