つい先ほど、高知龍馬空港に着いた。これから東京に戻る。2泊3日の旅であった。
こちらではいくつかの用事を済ませることができた。また何人かの知人、友人、親戚に会うこともできた。有意義な高知滞在であった。
今後は高知に帰る機会がめっきり減るだろうと思い、きょうは時折どしゃ降りになる中、午後、思い切って高知城を訪れた。ボランティアにガイドを頼んだ。ガイドを引き受けてくれた老人は須崎市生まれだということであった。私はガイドの説明を聞きながら時折、足を止め、写真を撮りながらゆっくりと石畳を登った。雨のため見晴らしは良くないだろうと思ったが、天守閣にも登った。もうこれが高知城を訪れる最後の機会かもしれないという思いに取り憑かれた私は、城下に広がる高知市の街並をじっと見つめた。
きょうは高知城を訪れる前に叔母の家も訪ねた。僅か1時間あまりであったが、これまで聞いたことがない、私の祖父母や両親の話を叔母から数多く聞かせてもらうことができた。最も驚かされたのは、母方の祖母のことであった。祖母は長男を亡くしていた。その若くして亡くなった長男の嫁から追い出されるような形で晩年は次男夫婦の家に身を寄せたという。ただ、祖母に会うときには、私はいつも病院を訪れた。したがって私は祖母が自分の家から出ていたことは全く知らなかった。当時、祖母がもらっていた年金は月に2万円だったということも、きょう叔母から聞かされた。祖母が受け取ったその年金は、祖母本人から頼まれて叔母が保管していたという。しかしそれを親戚はよく言わなかったらしい。祖母の年金を叔母夫妻が自由に使っていると思い込んでいた親戚もいたという。「お金のかからん扶養家族がおると税金が安うなってえいねえ」とイヤミを言う親戚もいたらしい。
まだ大学生だった私は、東京から帰省すると祖母に会うために祖母が入院している病院をよく訪れた。私が祖母に会いに行くと、祖母は帰り際に私を廊下にまで追いかけてきていつも私に1万円くれた。当時の祖母の年金が月に僅か2万円だったということをきょう叔母から聞かされて、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
祖母の遺体は死後、長男の家に戻された。そして長男の家の墓に埋葬された。叔母が保管していた祖母の僅かばかりの遺産は、長男の嫁が全額引き取ったという。
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