2018年4月7日土曜日

父が亡くなってから4年

父親が亡くなってからもうすぐ4年になる。父親は2013年6月下旬に出血性脳梗塞で入院。容体は回復することなく、翌年の3月7日に亡くなった。父親死亡の連絡を従姉から受けたときの衝撃は今も忘れられない。

私が現在住んでいる東京の家の仏壇には父親と母親の遺影を飾っている。その遺影を見るたびに両親への感謝の気持ちが湧いてくる。

先日、中学・高校時代の友人が私の実家の写真を送ってきてくれた。冬なので実家の庭の草は枯れているが、暖かくなるとまた草が鬱蒼と生い茂るに違いない。実家には誰も住んでいない。

その友人は、今、車で四国八十八ケ所巡りをしている最中だという。四国が広いのに驚かされたと彼からのメールには書かれていた。彼の父親が心身深かったので親孝行をしようと思って八十八ケ所巡りをしているとのこと。私には彼の気持ちがよくわかる。ひとつひとつ寺を回りながら、彼は亡くなった自分の父親の生前の姿を思い出しているにちがいない。

私の父親の生前、私と父親とは喧嘩ばかりしていた。加えて、私は高校に入学して間もなく実家を出たこともあり父親とはあまり話す機会がなかった。だから父親の平素の生活ぶりを私はほとんど知らなかった。父親の生活の様子を知ったのは、父親の介護をするためにしばしば帰省するようになってからであった。ご近所の方々が私にいろいろと話してくれた。それらのひとつひとつが私の胸を打った。貴重な思い出となった。

2013年11月に父親を見舞ったとき、もう意識はないものと思っていた父親が、「よう来てくれるね。嬉しい」と突然2回しゃべった。私は驚いた。その翌月、私が家内と息子を連れて父親を見舞った際には、父親は麻痺のない右腕を伸ばして私の手を握った。それにも驚かされた。帰り際、父親は目を閉じたまま「気をつけて帰りなさいよ」と二度と繰り返した。聞こえるか聞こえないかのごく小さな声であった。それが父親の声を聞く最後となった。

父親と母親の介護を東京と高知とを往復しながら行うのは実に大変であった。この期間はほとんど仕事が手につかなかった。夜も寝つけないことが多かった。父親に次いで2015年8月に母親が亡くなくなった。私は心身ともにへとへとに疲れた。しかし悔いはなかった。

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