2018年8月13日月曜日

姉 2

姉は両親が私に贔屓していると思っていた。このことが姉が私や私の家内に対して激しい憎しみを抱く大きな原因となっていた。

しかし私は、両親が姉よりも私を可愛がってくれていると感じたことはない。両親は姉も私も同じように可愛いと思ってくれていると私は感じていた。(ただ、姉は他家に嫁いだ身であるのに対して私は國弘家の嫡男であり、私には両親が亡くなったあと、墓を護り家を護ってもらわなくてはいけないとは考えていたと思う。)姉の4人の子たち(父親の孫)に対しても私の一人息子に対してと同等の愛情を父親が抱いていることが私には言葉の端々や表情からわかった。

姉の3番目の子(長男:私の甥)が大学に入学した後は、長男が必要とする金はいつでもいくらでも出してやると父親は繰り返し私に話した。そのことに対して私が不平を言ったことは一度もない。しかし甥は大学入学後一度だけ感謝の手紙を父親に寄こしてきた後、連絡を断った。父親はさびしそうであった。私はなぜ甥が父親に連絡をとらないのかを知っていた。甥の母親である私の姉が、実家には絶対に連絡を取るなと甥に強制していたのだ。私は、姉がこのようなことを甥に言っていることを父親には話さなかった。父親が可哀想に思えたからである。しかし今振り返ると、父親にはこのことをきちんと話しておくべきであった。後悔している。

姉は、自分が家族に内緒で受け取れる金は貪欲に要求した。そしてその援助を家族にひた隠しに隠した。その一方で家族に知られる援助は絶対に受け取るなと家族に厳命した。姉は甥に対して両親に連絡をとるなと厳命しただけではない。甥と同じ東京に住む私に対しても決して連絡をとってはいけないと言ったという。これは姉自身の口から私が直接聞かされた。

甥は一浪して東京大学に入学した。甥の浪人中、私は甥を励ますため何度も甥に電話をかけた。姉はそれを喜んでくれ、時間があるときには電話で甥を励ましてくれと言った。浪人中、入学試験が迫った年末には甥が弱気になって受験する大学のランクを下げようかと迷い始めた。そのときにも私は、大学に受かるかどうかはその大学に縁があるかどうかで決まる、ランクを下げたからといって受かる保証はない、最後は気迫の勝負だと話して甥を励ました。結局、甥は当初の目標大学であった東京大学の入学試験を受け、合格した。

入学試験を受けるために上京してくる際の交通費は私が負担した。しかし、甥は姉からのこのことを知らされていなかった。姉は私が送った金をさも自分が用意した金であるかのように何も告げずに甥に渡していた。甥が予備校に通うための学費も私が負担した。しかしそのことも姉は甥に告げていなかった。

ところが姉は、私の父親に多額の援助をもらうことによって甥が東京大学に入学できたと同時に、実家の者(私の両親と私)には絶対に連絡をとるなと甥に命令したのだ。

もし甥が私の両親(彼の祖父母)または私と連絡を取り合うことができていたならば、甥はきっと大学院に進学したと思う。多額の教育ローンを申し込む必要もなかった。甥は今立派に仕事をしているが、甥が不憫んでならない。

姉は、自分の子と両親の人生に対して責任を取れるのであろうか。どこまでも無責任な姉である。姉のこれまでの人生を象徴する出来事であった。

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