2013年6月下旬に父親が2度目の出血性脳梗塞で倒れたことを知らされたとき、私は、「ああ、最も恐れていたことが起きた」と、暗澹たる気持ちに陥った。主治医は、父親の意識は2日以内になくなるので大急ぎで親族を呼ぶようにと言ったという。
喫緊の問題は、父親の治療費をどうやって捻出するかということであった。2011年に父親が初回発作で入院した際、司法書士の友人の勧めで、父親にもしものことが起きたときに備えて私は父親と後見人契約を結んでいた。私は、父親が倒れた日の夜、その司法書士の友人に電話をかけて相談した。友人は、任意後見人申請のための診断書を主治医に書いてもらうようにと言い、その書類を私にファックスで送ってくれた。
父親が倒れたのは木曜日であった。その週末は主治医は出勤しないかもしれない。早めに診断書をお願いしておいた方がいい。そう思った私は、父親が入院している病棟に電話をかけて事情を話し、書類をファクスで送った。
ところが、このことが翌日、物議をかもすことになった。
私が父親が入院した病院に着いたのは、翌日の昼前であった。病棟のエレベータを降りて父親の部屋に向かっていると、その病棟の婦長から呼び止められた。主治医が私に話したいことがあるから、ナースステーションに入ってくれという。私は婦長に導かれてナースステーションに入った。そして婦長に勧められた椅子に座った。
数分後に主治医が現れた。その主治医はとても興奮していた。主治医は、私の前に座ると、父親の病状については一言も話さず、私が送った書類はどういうつもりなのかといきなり大声で怒鳴り始めた。私はあっけにとられた。私は、直ちにその診断書を書いてくれるようにと依頼したわけではなかった。父親は2日以内に意識がなくなると言われていたので、そのときに備えて私が高知に滞在中に主治医に診断書を預けておこうと思っただけであった。その主治医は私に「お父さんの病状をみたのか!」と大声で言った。私は病室に行く前に婦長に呼び止められてナースステーションに入った。父親の病状を自分で観察しているはずがなかった。主治医の発言の真意を測りかねた私は、単に「いいえ、まだ」と答えた。主治医は、任意後見人申請用の診断書を書く必要があるほど父親の病状は悪くないと言いたかったのか。私には皆目わからなかった。
主治医は頭ごなしに私を怒鳴りつけると、いきなり席を立ってナースステーションから出て行った。私は、椅子に座ったまま、主治医が戻るのを待った。なかなか主治医が戻らないので、ナースステーションの看護師に、どれほど待てば良いのかと尋ねた。その看護師は主治医に電話してくれた。そして20分ほど待つようにと言った。
主治医は何も言わず席を立った。こんなことは東京では許されない。
私は主治医が戻るのを待たず立ち上がり、ナースステーションを出た。そして父親の部屋を訪ねた。
父親は完全には意識がなくなっていなかった。しかし目を開けることはなく、ただ、「頭にズンときた」と言ったことを独り言のように繰り返し喋った。
私は、父親を転院させることにした。その日のうちに高知市内のもみの木病院に救急車で搬送父親を搬送した。結局、土佐市民病院では父親の病状については、一言も説明を受けられなかった。
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