2018年6月12日火曜日

遺産相続 4

私は、母親よりも父親のことを思い出すことが多い。「思い出す」というよりも「考える」ことが多い。なぜだろうかと時々思う。おそらく、母親の最晩年があまりにも寂しいものであったため、母親が亡くなって3年近く経った今でも思い出すのが辛いからであろう。

父親は2013年6月下旬に2度目の出血性脳梗塞で倒れて緊急入院した。母親は一人暮らしとなった。一人暮らし自体は母親にとっては寂しくはなかったようである。ご近所の方が母親と同居して母親をお世話してあげようかと言ってくれたことがあった。私は身体が不自由で歩くこともまままらない母親に一人暮らしさせることが心配で、そのご近所の方の申し出を母親に伝えた。しかし母親は頑としてその申し出を拒否した。母親は、「寂しくなんかない。今が人生で一番幸せだ」と言った。結婚以来、ずっと夫である私の父親に受けてきた圧迫からやっと解放されて幸せだということであった。

しかし母親は、程なくして娘(私の姉)と孫(姉の長女)から送られてきた絶縁状を読み、愕然としていた。母親は、私の姉と話そうと、繰り返し繰り返し電話した。何度電話しても電話は通じなかった。

母親が絶縁状を受け取る3週間ほど前の2013年7月1日に、私は私の姉と姉の長女から、母親と縁を切るということを告げられていた。しかし私は母親が酷くてそのことを母親に告げることができなかった。結局、このことは母親が死ぬまで話さなかった。

姉と姪が母親との縁切りを私に告げたとき、私はそのことをあまり重大には捉えていなかった。またすぐ仲直りするだろうという程度にしか考えていなかった。ただ、なぜ父親と縁を切るとは言わず母親と縁を切ると言ったのかは不思議だった。姉は父親を激しく憎悪していたが、それ以上に母親を憎んでいるとは知らなかった。

なぜ姉と姪が私の母親と縁を切ったのかは、2018年7月15日の番に私が姪と電話で話した際にわかった。いつことだったのかは聞かなかったが、私の母親が娘である私の姉よりも私に多目に遺産を残したいと言ったことが許せないと姪は言った。私は父親とも母親とも遺産相続について話したことは一度もなかった。ただ、姉は、両親の遺産を一日も早く相続したがっていた。そのため、私と電話で話す際には、必ず「祖父は早く死ね!」といった言葉を口にした。私の父親はちっとも金をくれないが、父親が死ねば遺産を手にすることができると姉は考えているようであった。私は「父親が生前に金を使わなければその分遺産が多くなるのだから、早く死ねなどと言う必要はない」と姉を諭したが、姉のくちぶりからはすぐにでも金が欲しいようであった。

父親は遺言状も残さずにほぼ意識がなくなった。父親には意志表示能力はない。後は母親だ。母親は私の姉よりも息子である私に遺産を多く残したいと言った。母親と縁を切り一切母親の介護はせず、母親を懲らしめなくては。ふたりはきっとそう考えたのであろう。

愚かであった。単なる欲のために親と縁を切ることが後にどれほど心の重荷となるのかを彼らは理解できなかったのだ。


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