今から15年ほど前のことになろうか。甥は1年間、自宅で浪人生活を送った後、東京大学に入学した。
甥が浪人生活を送っている頃、私は姉の家に度々電話をかけ、甥を励ました。甥は東京大学を目指して勉強していたが、時折弱気になり、受験する大学のランクを少し下げようかと言い出すことがあった。そんな甥を、私は「気迫で負けてはいけない。たとえ受験校のランクを下げてもその大学に縁がなければ受からない。試験に受かりさえすればお金のことはどうにでもなる」と言って励ました。姉も私に対して、時々電話をかけてきて長男(私の甥)を励ましてくれと言った。結局、甥は東京大学を受験し、無事、合格した。
甥が受験のために上京してきた日の晩、私は甥を私の自宅に呼んだ。そして一緒に食事しながら短時間雑談を交わした。どんなことを話したかは忘れてしまったが、気迫で負けるなといったことは話したかもしれない。食事の後、私の車で、甥が宿泊していた本郷のホテルの近くまで送っていった。甥は試験が終わったら東京で遊んで帰ると言って、車を降りた。車から降りた後、ホテルに向かってトボトボと力なく歩いていったそのときの甥の後ろ姿が今も忘れられない。
合格発表の日、合格通知がなかなか届かなかった。姉と甥は不合格だったと思い込み、二人して大泣きに泣いたという。ちょうどそのとき、姉の次女から姉に電話が入った。インターネットで調べたところ、合格者名簿の中に甥の名前があるという知らせであった。
4月に甥は東京に出てきたはずであった。しかし、夏になっても甥からは連絡がなかった。そにため、私はその年の8月に姉に電話をかけた。そして甥がどこに住んでいるのかを尋ねた。たまには甥を自宅に呼んで一緒に食事をしたり、小遣いもやりたいと思ったからであった。ところが、甥の住所を私が尋ねるや否や、姉から大声で罵声が飛んできた。「〇〇(甥の名前)には、叔父ちゃんには絶対連絡たらいかんと言うちゅう!」と。
私はあっけにとられた。私は「それはどういうこと? どうしてそんなことを言うが?」と怒った。私が声を荒立てたのは当然のことであった。私が怒ると、姉はガチャっと一方的に電話を切った。受話器を置いたあと、私は甥の姿を思い浮かべ、暗澹たる気持ちになった。姉に電話をかけ直す気力はなかった。ただ、私はその電話を職場の医局からかけたので私と姉の会話を聞いていた人たちがいた。たまりかねてひとりの秘書が姉に電話をかけた。そして「お姉さん、さっきの会話をそばで聞いていましたが、あれはひどすぎたのではありませんか」と言ってくれた。その問いかけに姉は何も答えなかったという。
結局、甥は大学を卒業するまで私に連絡してくることはなかった。大学卒業と同時に甥が外資系のコンピュータ関連企業に就職したことは私の父親から聞かされた。私は、甥は大学院に進学したかったのに家庭の事情で断念したのではないかと思い、甥が不憫になった。父親は、甥は、東京のある女子大学の学生と交際しているということも私に話した。これらのことを父親が知っていたことから、たまには父親と甥とは連絡を取り合っていたのではないかと私は推測した。
甥が社会人になったということを知った私は思いきって甥に連絡した。電話番号は父親に教えてもらった。以来、甥と私とは、時々、メッセージで連絡をとるようになった。2回か3回だけであったが、甥と会うこともあった。甥と会ったとき、思いきって甥に尋ねた。甥の浪人中、私が予備校の学費の一部を出してあげたことや大学の入学試験を受けるために上京した際の交通費も私が出したことを知っているかと。案の定、甥は知らないと答えた。
甥は、自分で学資ローンを組んで大学に通ったということであった。数百万円のローンが残っていると言った。私は甥が不憫でならなかった。私の父親は、甥に対して、いつでも金を出してやると繰り返し繰り返し言っていた。それは、父親の人生最後の生きがいのように私には思えた。甥が入学したとき、父親は甥に二百万円渡したが、それが父親からの最後の援助になったのではないかと私は危惧した。ひょっとしたら、姉は、私の父親と連絡を取ることすら甥に禁止していたのではないか。私は心配した。電話をかけてもなかなか甥からは折り返し電話が来ないと父親が寂しがっていたことがあった。どうやら私の危惧は当たっていたらしい。
姉は、自分の秘密で受け取れる金はスポンジが水を吸い取るように、無条件で両親や私から受け取った。嫁ぎ先の家族にはそのことをおくびにも出さなかった。そして「実家の両親は1円たりと援助してくれない」と自分の家族ばかりでなく親戚や実家のご近所に触れ回った。
もし姉が、父親と連絡をとるな、私とも連絡をとるな、と甥に言わなければ、甥は学生時代にあれほどまで経済的に辛い思いをすることはなかったであろう。父親は甥が必要とする金は惜しまず出したはずである。甥は大学院にも進学できたかもしれない。
私は、これからの甥の人生が幸福に満ちたものとなることを心から願わずにはいられない。