2019年1月5日土曜日

告別式でのスピーチ 1

母親の告別式。私は喪主として挨拶を述べた。その際に、亡くなった母親は入院中ずっと姉に会いたがっていたと話した。娘から何の理由もなく一方的に縁を切られても、なお娘には会いたい。母親は私の姉と会いたいとずっと願っていた。私が帰省し母親の病室を訪れた際の第一声は、いつも、姉はどうしているかという問いかけであった。私が知ろうはずはない。母親を慰める言葉が思いつかない私はただ頭を横に振るだけであった。母親は寂しそうに病室の天井をじっとみつめた。
 
告別式場で一般席の最後部に座った姉に対して、私は、母親は姉にどんな仕打ちを受けても死ぬまで姉に会いたがっていたと話した。しかし、姉が一方的に縁を切ったことや一度も見舞いに来なかったこと、電話にも出なかったことなどは一切話さなかった。告別式のスピーチのなかで話すべきことではないと判断したからである。母親が死ぬ間際まで姉に会いたがっていたと私が話したのは、姉に対する母親の愛情には変わりがなかったことを伝えたかったからにほかならない。
 
母親の入院中、一度も見舞いに来ず電話もとらなかった姉であったが、母親の死期が間近に迫っているとの連絡を親戚から受け、病院に駆けつけてきた。しかし姉が病院に着いたときには既に母親は亡くなっていた。母親の遺体にすがりついて泣きじゃくる姉に対して、ある一人の親類の老人が姉にぽつりと言ったという。「ちっくと遅かったねえ。」これは、親族やご近所の方々の姉に対する侮蔑を端的に表現した言葉であった。
 
私が高知に帰ったのは、母親が亡くなった日の翌日の夜であった。既に母親の遺体は親戚が葬儀場に移しておいてくれた。葬儀場の広い和室に横たえられている母親の遺体を見た途端、私は涙が止まらなくなった。
 
父親の葬儀には来なかった姉が葬儀場に来ていた。姉は泣きじゃくる私に近づき、母親の看病を私一人にさせたことを詫びた。しかしその理由には納得がいかなかった。姉は、弁護士から、係争している母親と会ってはいけないと止められたから母親の面会に来なかったと言った。しかし姉は、まだ父親が生きている時期、つまり父親の遺産相続で係争が持ち上がる前から父親の面会にも母親の面会にも来なかった。電話にも出なかった。
 
姉が一度でも母親の面会に来ていれば、母親の死後、姉の病状が更に悪化することはなかったはずである。私は、母親の生前から、姉がもし母親の面会に来ないまま母親が亡くなったならば、姉の病状は生涯よくならないであろうと予想していた。そのとおりになった。心は正直である。

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