私は姉がどのような診断のもとで治療を受けているのかは知らない。しかし姉の症状の一部は承知している。どんな症状があるのかは姉自身の口からも聞かされたことがある。母親の葬儀の際には、姉が服薬している薬を姉本人から見せられた。数種類の薬を姉は服用していたが、薬剤名までは覚えていない。ただ、私は、それらの薬を服用するのはやめなければならないと姉に言った。
姉は自分の苦しみが何に起因しているのかに気づいてない。姉がかかっている病院名も診療科も私は知らないが、おそらく主治医も姉の症状がなぜ改善しないかを知らないであろう。私はずっと、姉の病は薬では治らないと思っていた。
幼い頃から、私は姉の口からは愚痴と他人の悪口しか聞かされたことがない。小学校入学前には近所の幼友だちの悪口。小学校に入ればクラスメートと担任の先生の悪口。とにかく他人の悪口、悪口、悪口であった。姉にはまた、軽い強迫神経症の症状が認められた。水道の蛇口を閉めたのに何度も何度も確認に戻るといった症状である。土佐弁ではこのような性癖を「かんしょうやみ」という。両親は、姉はかんしょうやみであると思っていたようだ。
姉の他人を批判する傾向は、結婚した後も治らなかった。私と話す機会があれば、夫の悪口、舅の悪口、姑の悪口、兄嫁の悪口。終わることがなかった。姉の嫁ぎ先の経営する会社が倒産し、姉の一家が借家住まいをするようになってからば、これらの人たちばかりでなく自分の子らに対する悪口もやめなくなった。私は、多感な時期を迎えていた姉の4人の子に与える悪影響を心配していた。
私の予想はあたった。
母親の告別式の席で,私は喪主として挨拶した。その際に、母親は死ぬ間際までずっと姉と会いたがっていたということを話した。ただ、親族席に座ることを拒否し一般席の最後部に座った姉は難聴もあり、私の挨拶が聞き取れなかったという。そのため長女に私の挨拶の内容を尋ねた。なんと姉の長女(私の姪)は、私がさんざん私の姉(彼女の母親)の悪口を言っていたと告げたという(裁判での姉自身の証言)。
その告別式の晩、姉が私の従姉の家に電話をかけてきた。そして私と私の家内、私の一人息子が母親の財産を全て自分たちの名義に書き換えたと従姉に告げた。たまたま翌日、その従姉の家を訪問した私たち夫婦は、その話を従姉から直接聞かされ驚いた。私の家内について、姉は、私の家内は現金が好きだから、とまで言ったということであった。私の家内は深く傷ついた。
裁判の場で、姉は、告別式の席で私が姉を批判したから腹いせにそのような電話をかけたと述べた。
姉の長女がどれほど社会常識がないかはこれまで何回か書いてきたが、私は彼女の愚かさに激しい怒りを覚えた。
私は告別式の挨拶のなかで、一言も姉を批判する言葉は吐いていない。このことは告別式に参列してくれていた複数の人たちが裁判の場で証言してくれた。なぜ、姪はそのような嘘をついたのか。百歩譲って私が本当に姉を批判していたとしても、彼女の母親の病状を考えれば、そのようなことは言うべきではなかった。伏せておくべきであった。愚かにも程がある。
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