2013年7月28日に姉(池友子)が残した留守番メッセージの冒頭の「あなたたち家族の3人」は私と私の両親を指しているものとずっと私は思っていた。この「3人」が私と私の家内と私の一人息子を指していたことを知ったのは、2年後の母親の告別式の晩であった。
父親の葬儀には出なかった姉(池友子)が、なんと母親の葬儀には参列した。姉(池友子)ばかりではなかった。姉(池友子)の長女と次女、そして彼女達の子供たちも告別式に参列したのだ。しかし彼らは誰一人として親族席には座らなかった。一般席のしかも最後部に一列に並んで座った。私も私の親族も、親族席に座るようにと姉(池友子)に言ったが受け付けなかった。
告別式の喪主の挨拶で、私は母親が死ぬ間際まで姉(池友子)に会いたがっていたということを述べた。ところが、少し難聴気味である姉(池友子)は最後部に座ったこともあって私のスピーチが聞き取れなかったという。(事実かどうかは不明。)姉(池友子)が隣りに座っている娘達に尋ねると、娘達は私がさんざん姉(池友子)の悪口を言っていたと話したという。
愚かな娘達である。百歩譲って私が姉(池友子)を批判するスピーチをしていたとしても、姉(池友子)にそのスピーチが聞き取れなかったならば、そのようなことは伏せておけばいい。わざわざ話すことではない。ましてや私は、一言も姉(池友子)や姉(池友子)の家族を批判することは話していない。
「この母(池友子)にこの娘あり」である。
結果として、姉(池友子)は私のスピーチ内容に激怒したという。その晩、親戚に電話をかけてきた。そして電話に出た従姉に次のように言ったという。私と私の家内と息子が母親の財産を全部自分たちの名義に書き換えた。私の家内は「現金が好きだから」と。姉(池友子)の留守番電話の「あなたたち家族の3人」が私と私の両親ではなく、私と私の家内と息子を指していたことを知ったのはこのときであった。しかし、当時、まだ中学生であった私の息子までこれほど憎むとは、姉(池友子)は狂っている。
私が姉(池友子)や姉(池友子)の家族を批判するスピーチをしていないことは参列者全員が証言してくれた。繰り返しになるが、私は「母親は死ぬ間際まで実の娘である姉(池友子)に会いたがっておりました」と一言言っただけである。悪口でも何でもない。母親が姉(池友子)に対して最も告げたかったであろう言葉を私が代弁しただけである。どんなに姉(池友子)が母親を憎んでも、母親は実の娘に会いたくて仕方がなかったのだ。
父親が亡くなったとき、私は姉(池友子)に手紙を書いた。その手紙の最後に、私は姉(池友子)の病気を知っている。どんなに薬を飲んでもどんな宗教に帰依しても姉(池友子)の病気は治らないと書いた。この一文をとりあげて、姉(池友子)は姉(池友子)の病気の詳細を知っていたはずだと裁判の場で主張した。私が知るはずはない。私は姉(池友子)から不眠を訴えられたことはあるが、どのような病名で通院しているのかもどのような薬を服用しているのかも知らなかった。ただ、誰が見ても姉(池友子)が精神の病気をやんでいるのは明らかであった。その心の病の原因は姉(池友子)の心の持ち方に問題があることであると考えたため私はそう書いたのだ。
姉(池友子)は一度でもいいから母親の生前に病院を訪れるべきであった。そして実の娘が見舞いに来てくれ喜ぶ母親の笑顔を見ておくべきであった。その母親の笑顔を見ておけば、姉(池友子)の病気は治ったかもしれない。姉(池友子)の病気は、母親の死後、更に悪化したと人づてに聞いている。当然の結果である。
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