2019年5月6日月曜日

母親の思い 2

私の姉に対してよりも私に少し多めに遺産を残したいと姉に話した母親の気持ちがよくわかる。姉には4人の子がいるが、私の両親の援助もあり、全員が私立の中学校と高校に通った。そして全員が国立大学を卒業した。嫁ぎ先が経営する会社が倒産したあと家も失って借家住まいになった姉の家族にとって、実家からの援助がなければ、これほどの教育が受けられようはずがない。実家のご近所の人たちは、両親がどれほど姉の家族をサポートしてきたかをよく知っていた。両親からの援助を全く知らなかったのは、姉の夫(私の義兄)と姉の子供たちだけであった。姉は実家からの援助を必死で隠した。
 
母親からすれば、自分たち(私の両親)の援助によって姉の子供たちは全員大学を卒業し就職した。2人はすでに結婚し曽孫も生まれた。ただ、國弘家の跡取りである私の子はまだ中学生。これから教育に多くの金はかかるであろう。先祖代々の墓地の処理も私に委ねなくてはならない。更に実家の建物や土地、点在する多くの田畑や山林の処分も頼まねなならない。したがって、息子である私に多めに遺産を残しておかなければ私が苦労するであろう。こう考えていたに違いない。
 
こう考えた母親は、まず姉の了承を得るために姉に話をしたのだ。姉の了承を得ておこうと考えたのであろう。
 
ところが、なんと、姉はその母親からの問いかけに対して、姉は「絶縁!」で応えた。
 
母親は嘆き悲しみ、私に何度も次のように言った。「親子なんだから、不満があればきちんと話をすればいい。」
 
姉は、母親が何度電話をかけても受話器をとらなかった。母親が脊椎圧迫骨折で入院し亡くなるまでの間に母親は姉に繰り返し繰り返し電話をかけたが、姉は頑として受話器を取らなかった。途中から母親は携帯電話を投げ捨てた。その携帯電話は、母親が亡くなるまで、病院の近くに住む従姉が預かってくれた。
 
姉が母親の顔を見たのは、母親の危篤を従兄から知らされて病院に駆けつけたときであった。しかし、すでに母親は亡くなっていた。姉は母親の遺骸にすがりついて泣き叫んだだという。時すでに遅し。そばにいたひとりの親戚の者が「友子ちゃん、ちっくと遅かったねえ」と言ったという。痛烈な皮肉であった。

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