2006年12月7日木曜日

坂田広道

坂田は中学時代からの友人だ。彼が東京に単身赴任してきている時期には彼とよく会ったが、彼が名古屋に戻ってからは1年に2〜3回会う程度になった。

きのうの昼、彼から短いメールが届いた。急に東京に出てくることになった。東京で一泊するのでいっしょに食事をしようという内容であった。

仕事が終った後、私は待ち合わせ場所である神田の讃岐うどんの店にでかけた。既に坂田は到着しており、ひとりテーブルに座って酒を飲んでいた。

ふたりの間の話題は、この頃はもっぱら自分たちの親のこと、そして自分たちが歳をとったという話である。偶然であったが、きのうは坂田の誕生日。彼も50歳になった。

彼の母親は一昨年の10月に交通事故で亡くなった。即死であった。悲劇的であったのは、助手席に乗っていた彼の母親の車を運転していたのは、彼の父親であったということだ。彼の父親も大けがを負い大手術を受けた。今も松葉杖の生活である。

事故から2か月近く、彼は仕事を休み、父親の病室で寝泊まりしていた。父親が自殺してしまうのではないかと心配だと彼は言っていた。彼は今も1か月に2度、高知の実家に帰っている。

私たちは人生の3分の2を終えた。残るは3分の1だ。

坂田は残る3分の1の人生を親孝行に費やしたいという。そのために子供たちが全員大学を卒業する再来年の3月に退職し実家に戻ることを真剣に考えているということだ。

私も自分の人生をどう締めくくるのかをそろそろ真剣に考えなければならない。

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