2006年12月8日金曜日

都営荒川線

私の自宅から歩いて5分ほどのところを都営荒川線が走っている。都営荒川線は都内で唯一の路面電車だ。最寄りの停車場は滝野川一丁目である。私はこの停車場のすぐ線路脇の下宿で1年間の浪人生活を送った。

その下宿には私も加えて6人の学生が住んでいた。全部男子学生であった。うち3人は東京外国語大学の学生、1人は中央大学の夜間学生、そして残りが私ともうひとりの浪人生であった。

全室3畳一間。それに小さな押し入れがひとつだけ付いていた。日当たりも決していいとはいえなかった。家賃は1か月6千円。トイレは共同。風呂もなかった。洗面器とタオルを抱えて近くの銭湯に通った。私はこの下宿からお茶の水にある予備校に毎朝でかけた。

何年間浪人生活を送れば希望の大学に入れるのかわからない。私も他の浪人生と同じ不安感を抱えていた。初めての都会生活。傍に誰も知る人がいない孤独な生活であった。

そんなさびしい生活の中での唯一の慰めは、予備校の先生方の明るさであった。浪人生は誰もが傷ついたプライドに苦しんでいる。先生方はそんな私たちの気持ちをいつも気づかってくれながら授業を進めてくれた。

クラスメートも皆、貧乏暮らしをしていた。昼食はいつも近くにある中央大学か明治大学の学食。そこにクラスメートと一緒に紛れ込んで安い定食を食べた。みそ汁は1杯10円であった。

浪人時代の思い出は尽きない。

あれから30年近く経ってこの思い出の土地に再び住むことになった。今回はおそらく生涯ここに住むことになるだろう。都営荒川線の電車が走る音が聞こえるたびに私の記憶は今でも浪人の頃へと引き戻される。

0 件のコメント: