しかし私は信心深いとはいえない。そうかといって無神論者でもない。また、信教の自由は保障されなければならないとも考えている。
私にとって宗教とは何か、どのような意味を持つかといったことについてこれまで考えたことはない。宗教書もほとんど読んだことがない。高校時代、作家・野間宏の「歎異抄」という作品を読んだことがあるぐらいのものである。その本は友人が貸してくれというので貸したが、戻ってこなかった。
ただ、死後の魂とか霊魂といったことについては時折考える。私には霊は見えない。しかし不思議な経験をしたことがある。科学では説明できない事象であった。それ以来、生きている人の念もしくは死者の霊のようなものが離れた場所にいる人に影響を及ぼすことがあることを信じるようになった。
私が不思議な体験をしたのは大学6年生(医学部は6年)の時であった。卒業を間近に控えた1月中旬のこと。父親から夜に電話がかかってきた。元気でやっているかと父親は尋ねた。私は通り一遍の返事を返した。それほど長話はせず、父親は電話を切った。今、思い返すと、父親の声には力がなかった。
その翌日、私は友人の家に出かけた。そこで医師国家試験の勉強をするつもりであった。しかし、友人宅で勉強を始めても集中できない。それまで体験したことのない体調に陥った。熱があるわけではない。どこかが痛むわけでもない。表現のしようがない感覚であった。友人宅で一晩すごした。しかし翌日も体調はおなじであった。もしかして、と思って実家に電話をかけた。電話に出たのは伯母であった。叔母は私の声を聞くと、「どこにおるが!?お爺ちゃんが死んだで!今、お葬式の最中!」と叫んだ。祖父が亡くなったのを知って私は驚いた。深い悲しみが襲ってきた。しかし祖父の死を知った瞬間、体調が元に戻った。不思議な体験であった。
亡くなった祖父が自分の死を私に伝えようとしていたのであろうか。それとも両親や親族の強い思いがあのような体調を引き起こしたのであろうか。
以後、あのような体調に陥ったことはない。祖父が亡くなる直前の晩に父親が私に電話をかけてきたのは、祖父が危篤状態になっていることを伝えるためであった。しかし、国家試験を目前に控えて勉強に励んでいる私に、祖父の病状を伝えることができなかったという。祖父の死後、しばらく経って、父親は私にそう話した。
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