昨年の3月7日に父親が亡くなった。母親は身体が不自由なため葬儀には参列しなかった。幸い、父親は母親と同じ病院に入院していた。だから母親は父親の最期を看取ることができた。
父親の訃報が主治医から届いたのは3月7日の午後5時過ぎであった。そのとき、私はある学校で講義をしていた。電話を切ったとき、私の頭の中は真っ白であった。ある学生が、授業を途中で切り上げて帰宅してはどうかと言ってくれたが、私は終了のベルがなるまで授業を続けた。
その日は帰省しようにも飛行機便がない。私は翌日の始発の飛行機で高知に帰った。高知龍馬空港から病院に駆けつけた。しかしそのとき、既に父親の亡骸は葬儀場に運ばれていた。父親の病室はもぬけの殻になっていた。しかし、まだ部屋の入り口には父親の名前が書かれた名札がかけられていた。
母親の病室を訪ね、母親には葬儀に参列する意志がないことを確認した。母は「お父さん、ここでお別れしょうぜよと最期の挨拶ができたからたから、もうえい」と答えた。母は涙を流していなかった。母の気丈さに驚かされた。私は葬儀場に急いだ。葬儀場に着くと葬儀場の担当者が父親の亡骸が寝かされている部屋に私を案内してくれた。父親は広くて清潔な和室に寝かされていた。顔には白いハンカチがかけられていた。私はそのハンカチをそっと取り除き、指先で父親の顔に触れた。ドライアイスのためか、父親の顔は氷のように冷たかった。
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