これから書くのは母方の祖母のことである。この祖母は、晩年、夫つまり私の母方の祖父と同じ高知市内の病院に入院していた。そして二人ともこの病院で亡くなった。
私は高校時代、時々、この祖母を見舞った。東京の大学に入学したあとも、帰省する度に祖母の病室を訪れた。誰から促されたわけでもなかった。単に足が自然にそちらに向いただけであった。おそらく、幼い頃から私を可愛がってくれた祖母の笑顔を見たいという気持ちが私を病院へと向かわせたのであろう。
祖母は私の顔を見ると、たいそう喜んでくれた。長い入院生活は苦痛であったと思うが、祖母から愚痴がこぼれることはなかった。祖母は家族と離れて病院でひとりで生活し、その病院で自分の生を閉じることを自分にとってごく自然のことと感じているようであった。
ただ、そう感じたのは、多分、私がまだ若く、祖母の心情を十分理解できなかったからであろうと最近は思う。祖母も当然、家族と一緒に生活したかったに違いない。私が祖母を見舞う度に心から喜んでくれたのは、ほんとうに嬉しかったからであろう。
私が帰ろうとすると、祖母はいつも病室から私を追いかけてきた。そしてお金をくれた。いつも1万円くれたように思う。私は、お金をもらうために祖母を見舞いにきているように思われることがいやで何度も辞退したが、祖母は無理矢理、裸のお札を私に握らせた。「幸伸が来てくれて嬉しいから渡しゆうがやけ」といって、祖母はきかなかった。
祖母を見舞う度にお金をもらうことが心苦しくて、祖母から足が遠のいた時期もあった。
祖母が亡くなったことは、祖母が亡くなってしばらく経ったあと、両親から知らされた。私が帰省しても、両親の口からその祖母のことが話題として出されることはなかった。「年を取れば、誰もが死んでいくもの。死んでいった者は時間とともに家族からすら忘れ去られていくもの。」両親はこのような死生観を抱いているように私は感じた。
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