2007年5月1日火曜日
久しぶりの飛鳥山公園
一昨日の日曜日は朝から快晴であった。昼食をすませた後、自転車に乗って息子と近くの飛鳥山公園に出かけた。息子と飛鳥山公園に行くのは3年ぶりであった。多くの家族連れで賑わっていた。
3年前の夏には、夜、ふたりでよく飛鳥山公園に行った。ほとんど人はいなかった。薄暗い公園のなかで二人っきりということも珍しくなかった。午後8時5分前になるとノクターンの音楽が流れ始める。そして午後8時ちょうどに公園内の照明が消える。それまで公園内にあるコンクリートの山に登ったり、すべり台を滑ったりして息子と遊んだ。
その頃、息子は小学校受験を目前に控えていた。息子に公園で遊ばせることによって少しでも息子の運動能力を高めること。父親である私ができることはそれぐらいしかなかった。
家内は息子がずっと幼い頃から小学校受験をさせる心づもりであったらしい。息子が3歳になったころから代官山の塾に週一回息子を連れていっていた。しかし家内は、私にはそれが塾であるとは言わなかった。ただ、幼児教育に優れたノウハウを持っているところとだけ行った。私も特に詳しく尋ねることはなかった。
息子に小学校受験をさせたいと家内が私に最初に言ったのは、受験の年の8月であった。私は驚いた。最初、私は反対した。しかし息子に小学校受験をさせるという家内の決意は固そうであった。すでに模擬試験も受けさせたという。しかしその模擬試験の成績はさんざんであったらしい。訊いてみると、何と27人中24番であったという。下から4番目だ。家内はひとりで頭を抱えていたようだ。通わせていた塾ではどうも学業は習っていなかったらしい。
私は「それは大物だ」と家内に言った。私のなかに変な闘志が湧いてきた。くだらぬ受験技術を身につけていない息子をそのまま伸ばし、試験に合格させてみたい・・・。私は家内に「もし縁があるなら合格するだろう。もし縁がなければどんなに能力があっても合格はしない。受験するだけさせてみてもいいのでは」と答えた。それから息子の本格的な「受験勉強」が始まった。
息子は目を見張るほど急激に成績を上げていった。試験の直前にはどの模擬試験でもトップクラスの成績をとるようになった。大人にも難しい問題をすらすらと解いていく息子の姿を見て、ひょっとしたら息子は学問で生きていくこともできるかもしれないと感じた。
わずか3か月間ではあったが、息子の受験勉強の期間中、私と一緒に毎晩のように飛鳥山公園に出かけてきたことを息子はまだ憶えている。
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